経営悪化 - 末期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 19:05 UTC 版)
「ユニバーサル・プロレスリング」の記事における「経営悪化 - 末期」の解説
比較的に小規模な興行を開催していたにもかかわらずメキシコから一流の選手を多数招聘した事や多数の練習生を入団させたことで経営状況は悪化していった。 1991年3月、エースの浅井がメキシコでの主戦場をLLIからEMLLへ転戦した事から、日本の主戦場もEMLLと業務提携を結んでいたSWSへの転戦を余儀なくされ、ユニバーサルを退団(一説によれば浅井の移籍もギャラの問題が関係したと言われている)。また、選手の怪我に対する対応(試合中、頭部を打ち、嘔吐するような状況でも、団体側は適切な対応をとらなかった等)も要因だったと言われている。 浅井の退団後は、MASAみちのく(村川)とモンキーマジック・ワキタ(脇田)がメキシコ修行で現在のスタイルを確立して凱旋し、浜田と共に看板選手としてユニバーサルを支えた。しかし依然として、メキシコからの大量招聘に拘った結果、以前にも増して経営が悪化し、ユニバーサルの末期は、ほとんどの日本人選手がノーギャラでの参戦を強いられていたと言われていた。 1992年10月1日、ユニバーサルを退団したザ・グレート・サスケが、みちのくプロレスを設立。退団の背景にはユニバーサルからまったくギャラが支払われなかったという事情があり、代表の新間寿恒には「ユニバーサルの東北支部として地方大会プロモートを目的としたい」という話をしていたが、実質的には採算を見込んだ動きであった(サスケはユニバーサル所属選手一人一人に個人的に声を掛けて勧誘していた)。11月27日、岩手産業文化センターで開催された、みちのくプロレスのプレ旗揚げ戦には、多くのユニバーサル所属選手が掛け持ち参戦していた。 1993年1月、グラン浜田を除く所属選手全員が、みちのくプロレスに移籍。ユニバーサルは活動を一時休眠する。11月、団体名をFULL(エフ・ユー・エル・エル、フェラデシオ・ウニベルサル・ルチャ・リブレ)に改称。12月16日、後楽園ホールで旗揚げ戦を開催。現在は自然消滅している。
※この「経営悪化 - 末期」の解説は、「ユニバーサル・プロレスリング」の解説の一部です。
「経営悪化 - 末期」を含む「ユニバーサル・プロレスリング」の記事については、「ユニバーサル・プロレスリング」の概要を参照ください。
- 経営悪化 - 末期のページへのリンク