経営悪化、そして破綻へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/25 02:49 UTC 版)
「スイス航空」の記事における「経営悪化、そして破綻へ」の解説
しかし、この積極的な経営戦略が結果的にスイス航空破滅の要因となった。1990年代末頃からサベナ・ベルギー航空やAOMフランス航空などハンター戦略によって傘下におさめた航空会社の業績が急速に悪化し、スイス航空の経営にも悪影響を及ぼし始める。その最中の1998年、スイス航空111便墜落事故(カナダのノバスコシア州ハリファクス付近の海上でスイス航空のMD-11が墜落・乗員乗客全員が死亡した)を引き起こしたことで顧客離れを招き、さらにこの事故による遺族への莫大な賠償金を支出せざるを得ない状況が加わったことで、スイス航空の赤字はさらに加速する結果となった。この状況下でもなおスイス航空はハンター戦略を継続しようとしたが、経営陣が更迭されたことでハンター戦略も終焉を迎えた。 その後、ネスレなどから経営者を招聘してスイスホテルの売却や傘下の航空会社から出資を引き上げるなどの手段で経営再建を図ったが上手くいかず、そこへ2001年のアメリカ同時多発テロ事件で航空需要が落ち込み資金繰りが悪化したことで自力での再建を断念。UBSやクレディ・スイス主導の元クロスエアに大半の路線を承継させ、スイス航空を清算する再建案が策定されるが、同年10月2日、クロスエア株の売却資金の振り込みが遅れたことで資金ショートを起こして経営破綻し、全便の運航を停止した。
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