米国のゲームセンター
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/02 22:35 UTC 版)
「ゲームセンター」の記事における「米国のゲームセンター」の解説
米国のゲームセンターは日本の風適法とは異なり、運営許可を受けるには、各都市における条例などに従う必要がある。筐体1台ごとに運営税が課税されるほか、ゲーミングマシンの設置も禁止している。ニューヨーク市の場合、筐体設置台数が9台以下の場合は運営許可が不要(日本でいうシングルロケ)であるが、筐体設置台数が10台以上の場合は運営許可が必要となる。また、授業日の9時~15時に18歳未満の者を入場させることも禁止している。 世界初の商用ビデオゲームはナッチング・アソシエーツ社が1971年に発売した『コンピュータースペース』とされている。この『コンピュータースペース』は生産台数約1,500台と少なめで、あまりヒットしなかったものの後世のゲーム文化に与えた影響は大きかった。 なお、コンピュータゲームの原型はさらに古く、1958年に米国のブルックヘブン国立研究所で物理学者のウィリアム・ヒギンボーサムがオシロスコープを使って製作したテニスゲーム『Tennis for Two』とされている。これは業務用に制作されたものではなく、ブルックヘブン国立研究所の定期公開日の見学者向けにあり合わせの機材で製作されたものであったが予想外の人気を博した。 1972年にアタリ社からゲームシステム『ポン』が発表されて大ヒットし、この『ポン』がアーケードゲームの元祖と呼ばれている。 日本企業の中にはラウンドワンなど北米へ進出している企業もあるが、バンダイナムコホールディングスは2021年3月1日に、新型コロナウイルス感染症による影響により、同年3月限りで子会社であるNAMCO USA INC.が手がけている北米におけるアミューズメント施設事業を現地企業へ譲渡したうえで、北米におけるアミューズメント施設事業から撤退することを発表した。NAMCO USA INC.が手がけていたアミューズメント施設は大半がレベニューシェア(日本でいうフランチャイズ店やシングルロケ)であったという。NAMCO USA INC.は2022年3月期中にBANDAI NAMCO Amusement America Inc.へ吸収合併される予定であるほか(北米におけるアーケードゲーム機販売事業は継続)、北米における旗艦店であった「PAC-MAN ENTERTAINMENT」も、同年4月にラウンドワンとGENDAの合弁会社であるKiddleton Inc.へ譲渡された。バンダイナムコホールディングスの北米におけるアミューズメント施設事業からの撤退は新型コロナウイルス感染症による影響のほかにも、日本国内における事業会社であるバンダイナムコアミューズメントとは対照的に、北米におけるIP(知的財産)の認知不足やそれを活用した運営が成功しなかったという。
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