管区の構造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/07 16:06 UTC 版)
内地の陸軍管区の変遷年管区1888 - 1896 師管 - 旅管 - 大隊区・警備隊区 1896 - 1903 師管 - 連隊区・警備隊区 1903 - 1920 師管 - 旅管 - 連隊区・警備隊区 1920 - 1924 師管 - 旅管 - 連隊区 1924 - 1940 師管 - 連隊区 1940 - 1945 軍管区 - 師管 - 連隊区 1945 軍管区 - 師管区 - 連隊区 陸軍管区表が示す管区の階層・名称は時代によって異なる。 制定時の1888年(明治21年)には、北海道を除く全国を6つの師管に分割し、各師管に2つの旅管、各旅管に4つの大隊区を置いた。師管は師団、旅管は旅団が管轄するが、連隊には対応する管区がなく、大隊区が大隊区司令部の管轄となった。佐渡島、隠岐島などの主要な島には旅管の下に警備隊区を設けた。 1896年(明治29年)には、7師管のうち6師管を2分するとともに、旅管と大隊区を廃止し、連隊区司令部が管轄する連隊区を設けた。1師管の下には4連隊区が置かれた。師団数を倍増する際に、陸軍は旧制度で1師管・2旅管・8大隊区であった地域に、2師管・8連隊区を置くことにした。この措置により、新しい師管は旧旅管の区割りを、新しい連隊区は旧大隊区の区割りを継承することになった。このときは近衛師団にも師管が割り当てられたが、1899年(明治32年)に廃止され、第1師管が8連隊区を擁することになった。なお、分割されなかったのは1894年(明治27年)に北海道に置かれた第7師管である。 1903年(明治36年)に旅管が復活し、師管と連隊区の間に置かれたが、1924年(大正13年)にまた廃止になった 島に置かれた警備隊区は、1918年(大正7年)6月に沖縄警備隊区が連隊区に換わり、1920年(大正9年)8月に対馬警備隊区が廃止されたことでなくなった。 1939年(昭和14年)8月に、植民地の朝鮮と台湾に兵事区を設け、陸軍管区表に「其ノ二」として表を追加した。従来の内地の表は「其ノ一」となった。兵事区は地区としては内地の連隊区に相当し、連隊区司令部に相当する陸軍兵事部が担当した。兵事区と兵事部は1941年(昭和16年)11月に関東軍支配下の満州にも設けられた。1942年(昭和17年)8月には中国(支那)にも陸軍兵事部が置かれたが、そこでは管区まで法定されなかった。 日中戦争・太平洋戦争が進んで部隊数が激増すると、管区を増やすのではなく、管区と師団・連隊との結びつきを解消する方向で改革が進んだ。まず1940年(昭和15年)8月に、師管の上に軍管区を置くとともに、師管の名を師団番号と一致させる方式をやめ、地名によって名付けることにした。1942年(昭和17年)4月からは、連隊区の範囲を府県と完全に一致させた。これにともない1師管に属する連隊区の数に3から5の幅ができた。そして1945年(昭和20年)4月に師管を師管区と改称し、師団と別に師管区司令部を置いた。
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