第13章 四輪荷車に居住する人びと 【印欧祖語の話し手たち】
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ヤムナヤ・ホライズン(前3300年~前2500年)はドン=ヴォルガ地域を発祥とし、そこにはヴォルガ川中流のフヴァリンスク文化(前4700年~前3800年)やドン川を拠点とするレーピン文化(前3950年~前2500年)が先行し、これら2つの文化の後期の陶器は、ヤムナヤの陶器とほとんど区別がつかない。ステップ東端からかなり離れたアルタイ山脈西部のアファナシェヴォ文化はレーピン文化の分派である。 ヤムナヤ・ホライズンは前3500年から前3000年にかけての気候変動に適応した。ステップは乾燥化、冷涼化し、家畜は十分な餌を得るために頻繁に動き回らなければならなかった。それはワゴンの使用と乗馬によって可能となり、「移動を重ねる新しい牧畜形態」を生み出した。それと同時に、ステップ内の地域移動を規制する新しい社会的ルールと制度が形成され、新しい制度に参加しない「文化的他者」という新しい社会意識が生まれた。 前3400年から前3200年にかけて、早期ヤムナヤ・ホライズンはポントス・カスピ海ステップに急速に広がった。アンソニーによると、「ヤムナヤ・ホライズンの広がりは、ポントス・カスピ海ステップ一帯の後期印欧祖語の普及が物質的で現れた結果である」という。アンソニーはさらに「ヤムナヤ・ホライズンは、高度な移動生活に適応した社会が、考古学においても目に見える形で現れたものだ。すなわち、ステップを拠点にした移動式住居から大きな群れを管理する政治的インフラの発明である」と付け加えている。 ヤムナヤ・ホライズンは、ドン川とウラル山脈の間で長期の定住が見られなくなったことや、主要な河川の流域に挟まれたステップの奥地でクルガンの墳丘が短期間使用されたことに反映されている。 ヤムナヤ・ホライズンの東部(ヴォルガ川=ウラル山脈=北カフカース・ステップ)は農業志向の西部(南ブーフ川=ドン川下流)とくらべてずっと移動力に富んでいた。東部は男性中心なのに対し、西部は女性を含む。東部の方がクルガンでの男性の埋葬数が多く、神も男性中心である。
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