第三次通貨交換
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/27 14:52 UTC 版)
アメリカ軍が沖縄の恒久的な統治を考えるようになると、1948年7月21日に公布された琉球列島米国軍政府特別布告第30号「標準通貨の確立」により同日以降日本円(旧円・新円)の流通は全面的に禁止され、B型軍票が流通する唯一の法定通貨となった。これにより本土復帰までの間、事実上日本本土の経済圏から切り離される形となった。これに先立ち同年5月には中央銀行としての機能と一般の商業銀行との機能を併せ持つ特殊銀行として琉球銀行が米国軍政府令に基づき設立されている。 この時は、琉球列島米国軍政府特別布告第29号「通貨の交換と新通貨の発行」により同年7月16日から7月20日にかけて日本円の通貨(紙幣・硬貨)とB型軍票を全量回収して現金保有高の証書を発行し、翌7月21日以降に改めてB型軍票を交付する形式で交換が行われた。このような複雑な手順が取られたのは、法定通貨の変更と同時に市中での通貨の流通量を確認することが目的であったためである。新通貨として引き続き従来と同一のB型軍票が使用されることが一般大衆に知られると、既にB型軍票を保有している場合に交換に応じない可能性があるため、新通貨の内容は伏せられたまま旧通貨の回収が行われており、今回に限り交換逃れに対しては罰則が科される措置までもが取られた。 B円だけを通貨として使用させることにより、琉球列島米国民政府は通貨の流通量を統制することができるようになり、インフレーションの進行は終息することとなった。 当初は1日本円 = 1B円 が公定レートだったが、1950年4月12日に3日本円 = 1B円(1アメリカドル = 120B円 = 360日本円)に改定されB円が廃止されるまでこのレートが使われた。このレート変更は物価の上昇を招き奄美群島の本土復帰運動を加速させる結果にもなった。当時の公定レートは1ドル=360円だったが、1ドル=120B円という日本円に比べ割高なレートがとられたのは、アメリカ軍が基地建設や駐留経費などを日本企業に支払う際に有利な条件にするためだったといわれている。なお当時の朝日新聞によれば、1953年12月25日において実際の通貨としての価値は1B円 = 1.8日本円程度だったという。 これにより日本本土から安価で資材を調達することができた代わりに、沖縄県周辺の経済は空洞化して本土系企業の沖縄進出を遅らせる理由になり、後にこの地域の経済構造が極端に第三次産業に依存し、域外からの輸入に頼らざるを得ない状況となった一因ともされる。
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