第三次選挙法改正をめぐって
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 05:26 UTC 版)
「ロバート・ガスコイン=セシル (第3代ソールズベリー侯)」の記事における「第三次選挙法改正をめぐって」の解説
グラッドストン首相が提出した第三次選挙法改正法案(男子戸主選挙権制度を都市選挙区だけではなく、地方の州選挙区にも広げようという内容)が1884年6月に庶民院を通過し、後は貴族院次第となった。 1880年代になると選挙権拡大で国民の投票傾向にも変化が生じるようになっており、一般に保守党は大都市、自由党は中小都市や農村、スコットランドやウェールズを支持基盤とするようになっていた。そのため選挙区割りを見直さずに選挙法を改正するのは自由党有利の選挙法改正と考えられた。 ソールズベリー侯爵以下貴族院保守党はこの法案を否決させる構えを見せたが、それに対して自由党急進派のジョゼフ・チェンバレンが貴族院改革をちかつかせる脅迫を行ったため、保守党と自由党の緊張が高まった。ソールズベリー侯爵は大都市に議席を重くする議席配分法案も一緒に提出しない限り選挙法改正には応じられないと頑なな態度をとり続けたが、やがてヴィクトリア女王が仲裁に乗り出し、自由党政府に貴族院改革を主張するのをやめさせるとともにリッチモンド公爵を通じてソールズベリー侯爵にも保守党内の反政府強硬派を抑えるよう通告した。 女王の仲裁のおかげで両党は歩み寄りをはじめ、11月には保守党代表者(ソールズベリー侯爵やノースコートら)と自由党代表者(グラッドストンとハーティントン侯爵ら)による会談の場がもたれた。会談はグラッドストンが譲歩した結果、保守党に有利な条件で合意に達した。これにより原則として1選挙区1議員を選出(小選挙区制)することになり、また中小都市選挙区の議席が減らされ、ロンドンなど大都市選挙区の議席が増やされた。 この合意により貴族院保守党も賛成して第三次選挙法改正が達成され、男子普通選挙に近い状態が達成された(この段階でもまだ選挙権のない成人男性は下僕、家族と一緒に住む独身者、一定住居の無い者など)。 [先頭へ戻る]
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