第三次戦争とは? わかりやすく解説

第三次戦争 (1350年–1355年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 05:12 UTC 版)

ヴェネツィア・ジェノヴァ戦争」の記事における「第三次戦争 (1350年1355年)」の解説

黒海をめぐる両国争い1350年再発する。サルディーニャを領有して政治的経済的にジェノヴァ対立していたアラゴン王国ペドロ4世は、ヴェネツィア同盟して1351年参戦した1351年の間にはエーゲ海ボスポラス海峡付近駐留軍同士衝突主だったが、その中でパガニーノ・ドリア率いジェノヴァ艦隊ヴェネツィア植民地ネグロポンテ包囲した1348年から1349年のビザンツ・ジェノヴァ戦争敗北していたビザンツヨハネス6世カンタクゼノスは、今回戦争ではヴェネツィア与してそのペラ攻撃支援したその後、ニッコロ・ピサニ率いるヴェネツィア・カタルーニャ連合艦隊ビザンツ艦隊合流し1352年2月ジェノヴァ艦隊衝突した。このボスポラス海峡海戦双方大きな損害被ったが、カタルーニャ艦隊被害は特に大きく、ニッコロ・ピサニは戦闘結果引き分け以上にすることが出来なかった。パガニーノ・ドリアは、この戦いでビザンツ帝国戦争から脱落させることに成功した1353年8月、ニッコロ・ピサニはヴェネツィア・カタルーニャ連合艦隊率いてサルディーニャのアルゲーロにいるアントニオ・グリマルディ麾下ジェノヴァ艦隊掃討向かった敗報受けたジェノヴァは、ミラノ僭主ジョヴァンニ・ヴィスコンティ支配受け入れた1354年、パガニーノ・ドリアはナヴァリノピュロス)に停泊していたニッコロ・ピサニの艦隊不意打ちし、35隻のガレー船とニッコロ・ピサニを含む5000人の捕虜獲得する大勝利挙げた。(サピエンツァの戦い)これはヴェネツィアにおいては元首マリーノ・ファリエロ陰謀廃位遠因となり、彼の処刑後1388年6月1日和平結ばれた。この和平自体ヴェネツィアの力を大きく削ぐものではなかったが、戦争疲弊したヴェネツィアハンガリーダルマティア奪われた。一方危機去ったジェノヴァは、1356年ミラノから再独立した。

※この「第三次戦争 (1350年–1355年)」の解説は、「ヴェネツィア・ジェノヴァ戦争」の解説の一部です。
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