第三次戦争 (1350年–1355年)
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「ヴェネツィア・ジェノヴァ戦争」の記事における「第三次戦争 (1350年–1355年)」の解説
黒海をめぐる両国の争いは1350年に再発する。サルディーニャを領有して政治的・経済的にジェノヴァと対立していたアラゴン王国のペドロ4世は、ヴェネツィアと同盟して1351年に参戦した。 1351年の間にはエーゲ海やボスポラス海峡付近の駐留軍同士の衝突が主だったが、その中でパガニーノ・ドリア率いるジェノヴァ艦隊はヴェネツィアの植民地ネグロポンテを包囲した。1348年から1349年のビザンツ・ジェノヴァ戦争で敗北していたビザンツのヨハネス6世カンタクゼノスは、今回の戦争ではヴェネツィアに与してそのペラ攻撃を支援した。その後、ニッコロ・ピサニ率いるヴェネツィア・カタルーニャ連合艦隊がビザンツ艦隊に合流し、1352年2月にジェノヴァ艦隊と衝突した。このボスポラス海峡の海戦で双方が大きな損害を被ったが、カタルーニャ艦隊の被害は特に大きく、ニッコロ・ピサニは戦闘結果を引き分け以上にすることが出来なかった。パガニーノ・ドリアは、この戦いでビザンツ帝国を戦争から脱落させることに成功した。 1353年8月、ニッコロ・ピサニはヴェネツィア・カタルーニャ連合艦隊を率いてサルディーニャのアルゲーロにいるアントニオ・グリマルディ麾下のジェノヴァ艦隊の掃討に向かった。敗報を受けたジェノヴァは、ミラノの僭主ジョヴァンニ・ヴィスコンティの支配を受け入れた。1354年、パガニーノ・ドリアはナヴァリノ(ピュロス)に停泊していたニッコロ・ピサニの艦隊を不意打ちし、35隻のガレー船とニッコロ・ピサニを含む5000人の捕虜を獲得する大勝利を挙げた。(サピエンツァの戦い)これはヴェネツィアにおいては元首マリーノ・ファリエロの陰謀と廃位の遠因となり、彼の処刑後の1388年6月1日に和平が結ばれた。この和平自体はヴェネツィアの力を大きく削ぐものではなかったが、戦争で疲弊したヴェネツィアはハンガリーにダルマティアを奪われた。一方危機が去ったジェノヴァは、1356年にミラノから再独立した。
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