第三次広島時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 10:07 UTC 版)
2011年は左ふくらはぎ痛で出遅れたものの、9月3日に昇格して5試合に登板した。しかし、9月13日の対東京ヤクルトスワローズ18回戦(マツダスタジアム)で左アキレス腱断裂の重傷を負った。このケガが原因で10月13日に球団から戦力外通告を受け、2012年シーズンは育成選手として契約する方針が伝えられた。 2012年5月13日に、同18日より支配下選手登録されると発表された。しかし若手の台頭でわずか14試合しか登板できなかった。 2013年は4月に一軍に登録されたものの、登板した4試合のうち3試合で失点し、二軍落ちした。7月2日に一軍に再登録され、その日の対中日11回戦(豊橋)で7番手として延長11回から登板し、ピンチを迎えたものの1イニングを無失点に抑えた。直後に安部友裕が勝ち越し打を放ち、オリックス時代の2007年7月26日の対日本ハム戦(スカイマーク)以来の勝利投手となった。しかし、同年も前年同様登板機会を得られず、9月28日に現役引退を表明し、10月2日の対阪神戦(マツダ)で同じく現役引退を表明していた前田智徳と共に出場、8回に登板し新井貴浩を見逃し三振に抑え、試合後に胴上げされた。菊地原の引退によって、時報イーグルスに在籍経験のある選手は台湾内外を含めすべて現役を退いた。
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