第三次と第四次戦闘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/09 17:20 UTC 版)
「グロリオーソの航海」の記事における「第三次と第四次戦闘」の解説
グロリオーソの乗員はコルクビョンでグロリオーソが航海に適する程度までに修理を行った。その後、デ・ラ・セルダはフェロルに向かうことを決めたが、逆風で艤装が損傷したためカディスへ向かわざるを得なかった。イギリス船との戦闘を避けるためにポルトガル海岸を避けて航行したが、10月17日にサン・ヴィセンテ岬近くでジョージ・ウォーカー代将率いるイギリス私掠船隊に遭遇した。この私掠船隊はフリゲートのキング・ジョージ、プリンス・フレデリック、プリンセス・アメリア、デュークの4隻であり、合計960人と大砲120門を有し、その艦名により「ロイヤル・ファミリー」(Royal Family、「王家」)と呼ばれた。 午前8時、私掠船隊の旗艦キング・ジョージはグロリオーソへの接近に成功、砲撃を開始した。3時間にわたる砲撃戦の結果、キング・ジョージはグロリオーソの大砲斉射によりメインマストと大砲2門を失い、グロリオーソも損傷して逃走を余儀なくされた。グロリオーソは南への逃走を試みるがイギリスの残りのフリゲート3隻は追跡、さらに増援でやってきた50門艦ダートマスと92門艦ラッセルも追跡をはじめた。 ダートマスの艦長ジョン・ハミルトンはグロリオーソの隣まで追いつくことに成功したが、ダートマスは激しい砲撃戦ののち弾薬庫が炎上、10月8日の15時30分に爆発してハミルトン艦長以下乗員の大半が死亡した。生き残ったのはクリストファー・オブライエン大尉(Christopher O'Brien)と海員11人だけとされたが、乗員300のうち14人が生き残ったとする資料もある。生還者の1人によると、ダートマスのマストが破れ、グロリオーソの砲火でひどく損傷していた最中、グロリオーソからの砲撃が弾薬庫を直撃、火事が起きて火薬に火をつけ、やがて船が爆発する結果となった。彼によると、乗員325人のうち15人が助かったという。生還者はプリンス・フレデリックからの救命ボートで救助された。その夜、イギリスのフリゲート3隻はラッセルと合流してグロリオーソを砲撃した。グロリオーソは真夜中から午前9時まで抵抗したが、マストが破れて船も沈没寸前、弾薬もなく、戦死33人と負傷130人を出している状況において、デ・ラ・セルダは抵抗が不可能と考えて降伏した。ラッセルは戦死12人と負傷数人を出し、キング・ジョージも8人の死者を出した。
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