第一草稿
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「ハーマン・ゴールドスタイン」の記事における「第一草稿」の解説
ゴールドスタインとの会話の結果、ノイマンは研究グループに加わり、「EDVACに関する報告書の第一草稿」というメモを書いた。ノイマンはこれは研究グループ内のメモのつもりだったが、メモを受け取ったゴールドスタインはこれをタイプして101ページの文書とし、著者としてノイマンの名前だけを書いた。1946年6月25日、ゴールドスタインはEDVACプロジェクトに密接に関係する人24人に文書の写しを送った。その後数週間で、報告書の謄写版コピーが大量に、米英の計算機科学者の間に広まった。不完全ではあるが、この報告書は非常に好評で、電子デジタルコンピューターを構築するための青写真となった。ノイマンがアメリカにおける主要な数学者として著名だったため、EDVACアーキテクチャは「ノイマン型アーキテクチャ」として知られるようになった。 「第一草稿」の重要なアイデアの1つは、機械式スイッチとパッチケーブルの配線でプログラムするのではなく、コンピュータの電子メモリにプログラムを保存することだった。この報告書に記載されたアイデアは、ノイマンがグループに参加する以前にEDVAC研究グループで議論されていたものである。ENIACの実際の発明者・設計者であるエッカートとモークリーが共著者として挙げられなかったことは、終戦後の研究グループの解散につながった。 エッカートとモークリーはエッカート・モークリー・コンピュータを設立した。同社は現在ユニシスの一部として存続している。ノイマン、ゴールドスタイン、バークスはプリンストン高等研究所に入り研究生活を続けた。1946年の夏、彼ら全員が再会し、後に「ムーア・スクール・レクチャー(英語版)」として知られるようになる世界初のコンピュータの集中講義を行った。メモなしで行われたゴールドスタインの講義は、デジタルコンピュータのプログラムに役立つ数値数学的な方法について深く厳密にカバーしていた。
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