ムーア・スクール・レクチャー
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「ジョン・モークリー」の記事における「ムーア・スクール・レクチャー」の解説
詳細は「en:Moore School Lectures」を参照 ENIACが発表された直後の1946年3月、ムーア・スクールは、将来および過去にムーア・スクールで行われたコンピュータ開発に対する商業的権利を得るために、特許ポリシーを変更することを決定した。エッカートとモークリーは、これは受け入れられないと判断し、ムーア・スクールの職を辞任した。しかし、ムーア・スクールから既に請け負っていたコンピュータの設計に関する一連の公開講義は行った。 1946年7月8日から8月31日まで、公開講義コース「デジタル計算機設計のための理論と技術」(通称ムーア・スクール・レクチャー(英語版))が開催され、エッカートとモークリーを含め19人が講義を行った。EDSACを構築したケンブリッジ大学のモーリス・ウィルクスなど、多くの参加者が後にコンピュータを開発するようになった。
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