電子計算機の黎明期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/08 02:13 UTC 版)
「モーリス・ウィルクス」の記事における「電子計算機の黎明期」の解説
1945年、ケンブリッジ大学数学研究所(後のコンピュータ研究所)の副所長に任命される。ケンブリッジ研究所には当初から微分解析機などの様々な計算機器があった。そこで彼はENIACの後継としてジョン・プレスパー・エッカートとジョン・モークリーが開発中だったコンピュータ、EDVACの、ジョン・フォン・ノイマンによる草稿を入手した。草稿はすぐに返す必要があり、当時はコピー機もなかったので徹夜で草稿を読んだという。彼はコンピュータの進むべき道はこれだと即座に理解し、そんな機械の設計製作に関わりたいと考えた。 1946年8月に船でアメリカまで行きムーアスクール・レクチャーを受講。ただし船の到着が遅れるなどしたため、受講できたのは最後の2週間だけだった。このアメリカ訪問ではアメリカでのコンピュータ研究に関連した場所を全て訪問し、しばらくモークリーの隣の部屋に宿泊して、ENIACについても熟知するようになった。
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