競馬界における活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/15 22:44 UTC 版)
「ジョージ・ベンティンク」の記事における「競馬界における活動」の解説
政治家としては低く評価されることもある人物だが、競馬界においては観客のためにさまざまな改革を行い、また当時蔓延していた八百長や妨害工作などの不正行為に対する糾弾や、防止策の考案を精力的に行ったことから高い評価を得た。馬主としても活動していたが、1846年に100頭以上いた所有馬を安値で売却し、馬主としての活動を休止した。売却した馬の中には後の二冠馬サープリスが含まれていた。ベンティンクはサープリスがセントレジャーステークスに優勝した2週間後に心臓麻痺により死亡した。 ベンティンクは競馬に関する多額の賭けを行った。馬主となってからは、賭けで多額の利益を得る目的で所有馬のオッズを下げるための工作を施すこともあった。たとえば1835年のオークスでは、所有馬のプリザーブが疾患を患っているように偽装を行った。また1836年のセントレジャーステークスに所有馬のエリスが出走した際には、当時徒歩で馬を競馬場まで連れて行くのが一般的であったことを利用し、競走がおこなわれるドンカスター競馬場への移動が間に合わないと思われる時期まで他の競馬場にエリスを待機させ、オッズが下がってから馬車台の周囲を高い枠で覆った巨大な馬車を使ってドンカスター競馬場まで輸送した。このとき使用した枠付きの馬車台は、競馬界初の馬運車といわれる。 1844年の第65回ダービーにおける1位入線馬ランニングレインのすり替え事件においては、2位入線馬オーランドの馬主J・ピール大佐による異議申し立てと法廷闘争を積極的に支援した。 管理担当者を務めたグッドウッド競馬場において、以下の改革を行った。 出走馬の番号を場内に掲示し、さらに出走馬の番号を記載した公式の出馬表を作成した。これは現在のオッズ板および出馬表につながる初の試みであった。 現在の競馬ではレース前に出走馬がパドックを周回し、その後スタンドの前でウォーミングアップ(返し馬)をする習慣が定着しているが、これを始めたのはベンティンク管理下のグッドウッド競馬場である。 発馬時間の厳守を義務付け、騎手や発馬係が故意にレースのスタート時間を遅らせる行為に対して罰金を科した。 騎手が正しい服色の勝負服を着用し、出走馬への鞍の装着を正規の場所で行うよう義務付けた。 不正行為への対策として従来発馬係の発声によって切られていたスタートを旗を振り下ろす方式に変更したが、この方式はイギリス国内の他の競馬場にも普及し、現在でも世界各国で多くの競馬場が採用している。
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