立候補後に断念した都市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 07:21 UTC 版)
「2020年夏季オリンピックの開催地選考」の記事における「立候補後に断念した都市」の解説
ローマ 2010年5月19日に立候補を表明。国内候補都市選定でベニスを破って選ばれた。2004年夏季オリンピックに立候補したが、アテネとの決選投票で敗れた。1960年ローマオリンピック以来、60年ぶりの夏季五輪開催を目指してIOCに立候補を申請したが、2012年2月14日に欧州危機による財政難からの再建を進めているマリオ・モンティ首相が招致計画を支持しないことを表明し、事実上ローマが立候補を取り消すこととなった。
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立候補後に断念した都市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 07:03 UTC 版)
「2022年冬季オリンピックの開催地選考」の記事における「立候補後に断念した都市」の解説
ストックホルム2013年11月11日にスウェーデンオリンピック委員会がストックホルムの立候補申請を公表した。ストックホルムは1912年夏季五輪を開催したため、開催地に選ばれれば、史上初の夏冬両大会の開催地となるはずだった。また、馬術のみストックホルムで開催された1956年メルボルンオリンピックを除くと、同国で110年ぶりの五輪開催および初の冬季五輪開催となる。しかし、2014年1月17日にスウェーデンの与党・穏健党は招致から撤退する方針を発表した。ボブスレー・リュージュ・スケルトンの競技施設の建設に多大な費用がかかる上、大会後の用途が少ないことなどを理由に挙げている。 クラクフ2013年11月7日にポーランドオリンピック委員会がクラクフの立候補申請を公表した。ポーランドの旧首都である。アルペンスキーのみ、隣接するスロバキアのヤスナで開催する構想を示していた。しかし、2014年5月25日に行われた住民投票で、反対票が全体の7割近くを占めたため、招致から撤退した。 リヴィウ2013年11月5日にウクライナオリンピック委員会がリヴィウの立候補申請を公表した。リヴィウはウクライナ西部にあるリヴィウ州の州庁所在地で、歴史的な文化遺産が数多く残る都市である。しかし、緊迫化する国内情勢を理由に、2014年6月30日に立候補を取りやめると発表した。 オスロ2013年11月6日にノルウェーオリンピック・パラリンピック委員会がオスロの立候補申請を公表した。同年9月に住民投票を行い、支持が得られたとして立候補を表明していた。開催地に選ばれれば、1952年オスロオリンピック以来70年ぶり2回目、同国では1994年リレハンメルオリンピック以来28年ぶり3回目の開催となるはずだったが、1次選考後の2014年10月1日に、巨額の開催費用についてノルウェー政府が財政保証を承認しなかったことを理由として、撤退を表明した。
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