立体交差事業に伴う移転と経営危機の発生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/30 16:19 UTC 版)
「エスタ帯広」の記事における「立体交差事業に伴う移転と経営危機の発生」の解説
1996年(平成8年)11月24日にJR根室本線の帯広市連続立体交差事業の完成に伴い、鉄道高架駅下のJRが所有する土地・建物の地下と地上1階と2階の一部を借りて「帯広ステーションビル株式会社」が転貸する商業施設「エスタ帯広」として開業することになった。 しかし、中央部分が帯広駅の改札口で遮断されて東西に分かれたために来店客の動線が十分に機能し難いうえ、東館入り口正面の見通しも悪いなど、集客力に問題がある施設構造となってしまった。 そこに、東館前コンコースでの催事で入り口をふさぐなど大家であるJR北海道側の運営上の問題や駅北側の地下駐車場建設工事の影響を受けるなど駅および周辺施設との連携の悪さによる集客力の問題も抱え込むことになり、テナントの売り上げに比例した変動家賃が主体の賃貸料が売り上げの不振で当初見込みを開業初年度から3億円強、率にして約50%も下回る状況に陥ることになった。 さらに、帯広市中心市街地自体が空洞化したことや景気が悪化したことなどの影響で開業前のテナント募集が順調に進まなかったことから入居保証金や敷金の減免措置など出店条件を大幅に緩和してテナントを集めたことで保証金が当初予定の5分の1に留まったことや、建設工事や営業コンサルタント費用、テナントへの移転補償などの移転に伴う設備投資が移転補償金の14億5,969万5,000円を上回る約17.8億円となったことなどの影響で「エスタ帯広」開業直後の1997年(平成9年)3月期決算で未払い金約3.2億円を抱えることになった。 高架化事業に伴う移転の際に、従来収入源だった帯広ステーションホテルの営業を終了したが、資金のほとんどを商業施設部分の移転に充てたことに加え、直営でのホテル事業を計画していたJR北海道の反対があったため、後継ホテルの運営を行わなかったことも経営悪化の要因となった。 さらに、従来の駅ビルの借地権を換地して新たな建物を建設すると2、3年が必要で空白期間を生むためテナントへの休業補償がかさむとしてすぐに営業できる高架下への移転を選んだことで借地権が消滅したため、借り入れの担保となる資産が無くなっていた。
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