福音派と聖霊派
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/29 09:36 UTC 版)
「マーティン・ロイドジョンズ」の記事における「福音派と聖霊派」の解説
ロイドジョンズは今日のキリスト教界の多くの教派で支持されている。聖霊派との交わりについて議論があるが、聖霊派の指導者の多くが彼に敬意を払う。彼は聖霊による回心、新生とは別の体験として、聖霊のバプテスマを教えていた。そして特に晩年、聖霊を求めるように促したのである。1976年に出版されたエペソ書講解6:10-13でこう語った。「あなたはこの火を知っているか?知らないなら神に告白しなさい。悔い改めて、聖霊を送って下さるように神に求め、主の愛に溶かされ動かされ、神の愛に満たされ、神の愛を知り、神の子供として喜び、来るべき栄光の望みを期待しなさい。「御霊を消してはならない。」聖霊に満たされなさい。主イエスにあって喜びなさい。」 ロイドジョンズの強調は、クリスチャンは聖霊のバプテスマを必要としており、これはクリスチャンに圧倒的な神の愛の確信を与え、それによって神を信じない世に対する、主の証し人としての力を与えるというものである。 イエス・キリストによる聖霊のバプテスマを、聖霊による新生、聖化とは区別している。またロイドジョンズは聖書に根拠がないとして、ウォーフィールドらの終焉説に反対した 。彼はまことの神とキリスト教に敵対する世に耳を傾けさせるために、ペンテコステの日にあらわされた神の力あるみわざを説教者(と証し人)が必要していると、宣言し続けた。 尾山令仁牧師は、福音派と聖霊派の間にある誤解をとくための重要な本としてロイドジョンズの『栄えに満ちた喜び』をあげている。 日本の福音派からも、ロイドジョンズが教えた聖霊のバプテスマを支持する信徒が出てきている。
※この「福音派と聖霊派」の解説は、「マーティン・ロイドジョンズ」の解説の一部です。
「福音派と聖霊派」を含む「マーティン・ロイドジョンズ」の記事については、「マーティン・ロイドジョンズ」の概要を参照ください。
福音派と聖霊派
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/06 06:10 UTC 版)
聖霊派では「聖霊様来て下さい」という祈りが自由祈祷でよくなされる。福音派では、聖書記事に聖霊に直接祈る箇所がないということから、この祈りをしない教会もあるが、これを行う教会もある。いずれも聖餐の礼典の執行に必須のものとはされていない。
※この「福音派と聖霊派」の解説は、「エピクレーシス」の解説の一部です。
「福音派と聖霊派」を含む「エピクレーシス」の記事については、「エピクレーシス」の概要を参照ください。
福音派と聖霊派
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/04 04:00 UTC 版)
尾山令仁牧師はこの本が福音派と聖霊派の誤解を解き、聖書信仰の一致と協力のために用いられる重要な本とみなしている。福音派と聖霊派は新生したクリスチャンであり、正統な教理を持っていることで、共通点のほうが多いのに、聖霊論について互いに誤解があると説明している。 また2010年5月に開催された世界宣教東京大会の初日で大川従道牧師が、教派を超えてクリスチャンが一致するための本としてすすめた。 同じ福音派陣営であるロイドジョンズを尊敬する福音派の人々も、大半はこの聖霊のバプテスマの教えを採用していないが、この本を基に聖霊のバプテスマの立証と研究を進め、著書を出す福音派の信徒も見られてきている。
※この「福音派と聖霊派」の解説は、「栄えに満ちた喜び」の解説の一部です。
「福音派と聖霊派」を含む「栄えに満ちた喜び」の記事については、「栄えに満ちた喜び」の概要を参照ください。
- 福音派と聖霊派のページへのリンク