福澤時代
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1998年8月31日の放送を最後に福留が勇退。代わって9月1日放送から『ズムサタ』の初代総合司会を担当していた福澤朗を3代目総合司会に起用。番組冒頭、福澤は「今日からですね、福留さんに替わりまして、新しい朝、とれたての朝をお届けしてまいります。アナウンサーの福澤朗でございます。学校においては今日から新学期、2学期ですね。私もアナウンサー人生において新しい節目を迎えました。精進させていただきます」と登板の挨拶をした。ちなみに、福澤はそれ以前にも『アメリカ横断ウルトラクイズ』(1991年 - 1992年)と『全国高等学校クイズ選手権』(1991年 - 2000年)において、福留に代わって総合司会を担当していた。福留は、1ヶ月後の10月1日から8年ぶりに『アメリカ横断ウルトラクイズ』(“今世紀最後”と題した復活版)のロケに出かけている。福留は同年4月に「『ズームイン!!朝!』をそろそろ若い人に譲りたい」として日本テレビの氏家齊一郎社長(当時)に勇退を申し出ており、それ以降「後釜は誰か」という声は上がっていたが結局『ズムサタ』初代総合司会の福澤が横滑りすることになった。 2000年1月5日、「ズバリ!!橋本五郎」放送中に当時内閣総理大臣の小渕恵三から突然電話がかかり、スタジオと数分間談話した。この日の前後にも複数の番組に電話をかけ、話題になった(前年の流行語大賞にも選ばれた「ブッチホン」の有名な一例であり、日本テレビの番組でブッチホンを扱うときには必ずと言っていいほど流される)。 2000年12月16日には『スーパースペシャル2000』で本番組のスペシャル 「衝撃・時代の目撃者実録ズームイン!!朝!20世紀これが日本だ」が放送され、歴代の総合司会である徳光・福留の両名も福澤とともにマイスタから出演した。 2001年9月28日、最終回を迎えた。22年半の歴史にひとまずピリオドを打ち、『ズームイン!!SUPER』にリニューアルされる。福澤は『SUPER』に初代メインキャスターの1人として続投した。
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