磯部と陸軍幹部の接触とは? わかりやすく解説

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磯部と陸軍幹部の接触

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 02:22 UTC 版)

二・二六事件」の記事における「磯部と陸軍幹部の接触」の解説

二・二六事件蹶起前年から、磯部浅一らは軍上層部反応を探るべく、数々幹部接触している。「十月ごろから内務大臣総理大臣、または陸相渡辺教育総監いずれか二人自分ひとりで倒そう思っていた」と磯部事件憲兵尋問答えている。 1935年昭和10年9月磯部川島義之陸軍大臣訪問した際、川島は「現状改造せねばいけない。改造には細部の案など初め不必要だ三つぐらいの根本方針をもって進めばよい、国体明徴はその最も重要な一つだ」と語った1935年12月14日磯部小川三郎大尉連れて古荘幹郎陸軍次官山下奉文軍事調査部長、真崎甚三郎軍事参議官訪問した山下奉文少将は「アア、何か起こったほうが早いよ」と言い真崎甚三郎大将は「このままでおいたら血を見る。しかし俺がそれを言うと真崎扇動していると言われる」と語った1936年昭和11年1月5日磯部川島陸大臣官邸訪問し、約3時間話した。「青年将校種々国情憂いている」と磯部が言うと、「青年将校気持ちはよく判る」と川島答えた。「何とかしてもらわねばならぬ」と磯部追及しても、具体性のない川島応答対し、「そのようなことを言っていると今膝元から剣を持って起つものが出てしまう」と言うが、「そうかなあ、しかし我々の立場汲んでくれ」と答えた1936年1月23日磯部浪人とともに川島陸大臣面会した際には渡辺教育総監将校の不満が高まっており「このままでは必ず事がおこります」と伝えた川島格別反応見せなかったが、帰りニコニコしながら一升瓶手渡し「この酒は名前がいい。『雄叫(おたけび)』というのだ。一本あげよう自重してやりたまえ。」と告げた1936年1月28日磯部真崎大将の元を訪れて、「統帥権問題に関して決死的な努力をしたい。相沢公判も始まることだから閣下もご努力いただきたい。ついては、金がいるのですが都合していただきたい」と資金協力要請すると、真崎政治浪人伝を通じて500円の提供を約束した磯部はこれらの反応から、陸軍上層部蹶起理解を示す判断した1936年2月早々安藤大尉村中磯部らの情報だけで判断しては事を誤ると提唱し新井勲、坂井直などの将校15、6名を連れて山下自宅訪問した際、山下は、十一月事件に関しては「永田小刀細工やり過ぎる」「やはりあれは永田一派策動で、軍全体として意図ではない」と言い一同村中磯部見解正しさ再認識した

※この「磯部と陸軍幹部の接触」の解説は、「二・二六事件」の解説の一部です。
「磯部と陸軍幹部の接触」を含む「二・二六事件」の記事については、「二・二六事件」の概要を参照ください。

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