研究の沿革
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 04:35 UTC 版)
元素転換に類似する概念は原子に関する知識が確立されていなかった中世の錬金術の時代に遡られる。 1600年頃にフランドルの化学者J・P・ヘルモントは、水だけを与えて生育させた樹木の重さが数年後には大きく変化していたことを見出している。 1822年にイギリスのウイリアム・プラウト(en:William Prout)は、鶏の卵から産まれたヒヨコに含まれる石灰分が卵の4倍も増加していることを報告している。また同じ時期にフランスの化学者L・N・ヴォークランは、鶏の卵の殻に含まれる石灰分が餌として与えたオート麦の石灰分をはるかに超える量であったことを確認している。 1849年、ドイツのフォーゲルはクレソンの種子を発芽させる実験を行ったが、その実生には種子よりも多くの硫黄分が検出されたことを記している。 1856年から1873年にかけてイギリスの農学者のローズ(en:John Bennet Lawes)とギルバート(en:Joseph Henry Gilbert)は、植物が土壌に含まれている量より多くのマグネシウムを吸収していることを示すいくつかの実験を行っている。 1875年以降、ドイツのフォン・ヘルツィーレ(de:Albrecht von Herzeele)はローズとギルバートの実験を追試し、また独自の実験により硫酸塩を含んだ水で栽培した植物にはリンが増加していることを見出している。 20世紀に入るとオーストリアの神秘思想家R・シュタイナーがバイオダイナミック農法を提唱し、その農業講座の中で一つの元素から別の元素に転換する現象が生じうることに言及している。この思想は後継者E・プァイファーによって受け継がれ、彼はその著書「大地の生産性」の中で石灰分の乏しい芝生に生育したデイジーが多量のカルシウムを含んでいるといった実例を記している。
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