石碑建立後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 07:51 UTC 版)
大地震両川口津浪記の石碑は、1855年7月に建立された。 南海トラフでの大規模な地震は、石碑の建立後、ここまでに挙げた地震以降にも、20世紀末までに、1944年の昭和東南海地震と1946年の昭和南海地震が発生したものの、これら20世紀に発生した南海トラフでの地震は、宝永地震よりも規模が小さく、さらに安政南海地震よりも規模が小さく、同様に、付随して発生した津波の規模も「宝永地震>安政南海地震>昭和南海地震」であった。 このため、昭和東南海地震よりも、大阪に震源が近い昭和南海地震ですら、大阪では軽微な津波被害しか発生しなかったものの、次に発生するであろう南海地震による津波が、大阪で昭和南海地震の程度であるとは限らない。 また、石碑の建立後も、大阪湾岸では埋め立てが行われた。さらに、地下水の汲み上げを主因として、大阪市に加え周辺地域の広い範囲で、軟弱地盤が圧密沈下を起こした。 このような地盤沈下を受けて、台風などに伴う高潮の被害を警戒し、大阪湾の港湾部では大々的に盛り土が行われてきたものの、それでも上町台地を除くと、ほとんどの大阪市の市域は標高が5mに満たない。 加えて、1933年に御堂筋線の一部が開業した事を皮切りに、大阪では地下鉄の開発も行われた。さらに、1957年12月に大阪で最初の地下街であるナンバ地下センターが開業したように、地下街の開発が行わてきた。 以上のような要因により、高潮、河川の増水や集中豪雨などによる水害の他に、津波に襲われた場合にも、この大地震両川口津浪記が残る大阪平野は被害を受け得る。そして、大阪湾岸には防潮堤や水門は整備されたものの、それらの設備が地震によって被害を受けた場合や、それらの設備を動作させられない事態に陥る可能性も指摘されている。
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