石碑建立前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 07:51 UTC 版)
京阪神地域では六甲変動と呼ばれる地殻変動が現在も進行している。 この地殻変動により、大阪平野は現在も沈降が続いている。加えて、江戸時代などには新田開発のために大阪湾を干拓してきた歴史を有している。 なお、この石碑を理解する上で、もう1点知っておくべき内容として、南海トラフでは大規模な地震が繰り返されてきたという事実である。記録に残っている限りにおいて、684年の白鳳地震、887年の仁和地震、1096年の永長東海地震と1099年の康和南海地震とで1組の地震、1361年の正平地震、1498年の明応地震、他の地震とは異なり津波地震だったのではないかとも考えられている1605年の慶長地震が発生した。 そして、この石碑の碑文の内容とも関連性の強い、1707年の宝永地震、1854年の安政東海地震と安政南海地震も発生した。参考までに、宝永地震と安政南海地震における大坂での被害は、いずれも地震動による被害よりも、津波の襲来による被害の方が多かったという点で共通性が有る。 ここで、宝永地震と安政南海地震とで、大坂に襲来した津波を、当時の大坂を流れる河川に架橋されていた橋が、津波によって破壊された範囲を比較してみると、宝永地震の際に襲来した津波の方が大きかった事が判っている。 宝永地震では、そのような強力な津波に襲われたのにもかかわらず、安政南海地震の当時の大坂の住民の多くには、地震後に津波が襲来する可能性の有る旨が、充分に伝承されていなかったと、この石碑の碑文にも記載されている。なお、この石碑が建立された前後に、地震や津波を始めとして、様々な災害が発生した事も知られている。
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