石材の島としての北木島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 03:44 UTC 版)
北木島を含む瀬戸内海の島々は良質の花崗岩を産出している。江戸幕府が豊臣氏を滅ぼした後に建造した、大阪城の石垣の巨石も小豆島などから切り出した花崗岩が使われている。この大阪城の建造に際し北木島からも石垣に用いられる石材を搬出したとされる。江戸時代末期の1863年には、京都を異国の侵略から守るために建造された「西宮お台場砲台」の石材を供出。1879年には横浜正金銀行の石材を受注、1896年には北木島の石材を使用した日本銀行本店が竣工し、建築用石材としての北木石の名が広まる。1932年には靖国神社の大鳥居と大石灯籠の石材を積み出した。第二次世界大戦をはさむしばらくの期間、石材産業は一次衰退したが、戦後の復興・経済成長期には再度著しく発展した。最盛期の1957年には花崗岩を採掘する丁場の数が127箇所あった。 その後、中国からの安価な輸入石材に押されて石材の産出量は減少し、最盛期に127あった採石業者は2017年時点で丁場は2社に減っている。島の北木中学校に「北木石記念室」が設置されており、花崗岩の石材の見本や、かつての丁場(石切り場)で使用された機械・道具類が収蔵・展示されている。そのうち明治から昭和後期まで使われた道具類が平成26年に登録有形民俗文化財に登録された。平成27年度に「北木島採石場及び採石跡地の景観と石切り文化 生活道路から見えた丁場跡」は、優れた素材・技術を活かした高い品質を持つ「かさおかブランド」として笠岡市より認定された。2017年4月に民間会社の採石場に、削岩などの作業風景や約70メートル下の谷底を見下ろせる展望台が設置された。
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