発電所建設と玉川水電とは? わかりやすく解説

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発電所建設と玉川水電

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/09 12:45 UTC 版)

玉野発電所」の記事における「発電所建設と玉川水電」の解説

江戸時代から玉野高蔵寺地区への灌漑用水として存在する玉野用水にて水力発電実施するという試みは、1913年大正2年)に決定された。事業主体となる電力会社は「玉川水電株式会社」といい、1916年大正5年8月27日当時東春日井郡高蔵寺村設立された。資本金15万円で、役員には高蔵寺村名古屋市人物のほか平野太七北勢電気常務)ら三重県四日市市人物名を連ねる玉川水電1916年12月玉野用水通水組合との間で水力発電事業に関する協定締結した逓信省資料によると、玉川水電1915年11月電気事業許可得て1917年大正6年9月27日開業した。ただしこの時点発電所は未落成であり、電源名古屋市電力会社名古屋電灯からの受電によった許可得た供給区域高蔵寺村のほか東春日井郡のうち坂下村鷹来村(現春日井市)・篠岡村(現小牧市)・志段味村(現名古屋市守山区)および愛知郡のうち幡山村(現瀬戸市)・長久手村(現長久手市)・日進村(現日進市)・猪高村(現名古屋市名東区)の9に及ぶが、開業時点では高蔵寺坂下・幡山・長久手の4での供給限られたその後1919年大正8年11月になって玉川水電玉野発電所着工した1919年5月玉川水電玉川電炉工業前年12月設立資本金15万円)を合併し資本金30万円とする。次いで1920年大正9年8月1日玉川水電は「愛岐電気興業株式会社」に合併された。同社愛知県ではなく三重県四日市市会社で、1920年2月1日設立北勢電気社長九鬼紋七社長兼ねていた。資本金設立時70万円玉川水電吸収後は100万円。 愛岐電気興業時代1921年大正8年8月玉野発電所は運転を開始した当時発電所出力500キロワットで、最大使用水量4.17立方メートル毎秒有効落差16.42メートルであった

※この「発電所建設と玉川水電」の解説は、「玉野発電所」の解説の一部です。
「発電所建設と玉川水電」を含む「玉野発電所」の記事については、「玉野発電所」の概要を参照ください。

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