発電所建設と玉川水電
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江戸時代から玉野・高蔵寺地区への灌漑用水として存在する玉野用水にて水力発電を実施するという試みは、1913年(大正2年)に決定された。事業主体となる電力会社は「玉川水電株式会社」といい、1916年(大正5年)8月27日、当時の東春日井郡高蔵寺村に設立された。資本金は15万円で、役員には高蔵寺村や名古屋市の人物のほか平野太七(北勢電気常務)ら三重県四日市市の人物も名を連ねる。玉川水電は1916年12月、玉野用水普通水利組合との間で水力発電事業に関する協定を締結した。 逓信省の資料によると、玉川水電は1915年11月に電気事業の許可を得て、1917年(大正6年)9月27日に開業した。ただしこの時点で発電所は未落成であり、電源は名古屋市の電力会社名古屋電灯からの受電によった。許可を得た供給区域は高蔵寺村のほか東春日井郡のうち坂下村・鷹来村(現春日井市)・篠岡村(現小牧市)・志段味村(現名古屋市守山区)および愛知郡のうち幡山村(現瀬戸市)・長久手村(現長久手市)・日進村(現日進市)・猪高村(現名古屋市名東区)の9村に及ぶが、開業時点では高蔵寺・坂下・幡山・長久手の4村での供給に限られた。その後1919年(大正8年)11月になって玉川水電は玉野発電所を着工した。 1919年5月、玉川水電は玉川電炉工業(前年12月設立・資本金15万円)を合併し、資本金を30万円とする。次いで翌1920年(大正9年)8月1日、玉川水電は「愛岐電気興業株式会社」に合併された。同社は愛知県ではなく三重県四日市市の会社で、1920年2月1日に設立。北勢電気社長の九鬼紋七が社長を兼ねていた。資本金は設立時70万円、玉川水電吸収後は100万円。 愛岐電気興業時代の1921年(大正8年)8月、玉野発電所は運転を開始した。当時の発電所出力は500キロワットで、最大使用水量4.17立方メートル毎秒・有効落差16.42メートルであった。
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