発電所建設に伴う地場産業への影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 15:27 UTC 版)
「松阪電気」の記事における「発電所建設に伴う地場産業への影響」の解説
松阪水力電気により水力発電所が建設された櫛田川では、発電所の堰堤より上流側では鮎をはじめとする川魚の漁獲量の大幅減少がみられるようになった。堰堤建設により川魚の遡上が妨げられるのが原因だとして会社は漁業関係者から補償を求められたため、1909年(明治42年)堰堤に魚道を設置した。 漁業以外では林業にも影響があった。櫛田川上流には県内有数の林業地域(波瀬地区)があり、その運材は江戸時代より筏流しにより運ばれ大口港から県内外に船積みされていた。明治時代になり参宮鉄道の開通によって途中で陸揚げし相可駅(現在の多気駅)より鉄道輸送するルートが開発されたが、利用は2-3割程度で残りは変わらず櫛田川を利用していた。やがて発電所の堰堤建設により筏流しはできなくなったが、かわって「菅流」という方法がとられた。これは原木を上流からそのまま流し、堰堤前で一時貯木して魚道を一本ずつ通過させる手法である。1911年(明治44年)に松阪軽便鉄道により松阪 - 大石間に鉄道が開通、終点の大石駅が鍬形発電所上流の櫛田川そばに設置されたが、水面から数10メートルの絶壁であり用材を引き上げることは容易ではなかった。鉄道輸送が増加するようになったのは、昭和のはじめになりクレーンが設置されて以降である。
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