発電所建設と東西融通
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「桃山」地点の開発は1922年(大正11年)に実行に移され、同年8月桃山発電所が着工された。発電所名は当時の大同電力社長福澤桃介の名前にちなむ。翌1923年(大正12年)に竣工、11月7日に通水の認可が下り、2台の発電機のうち1台が11月25日付で使用認可が下りたため運転を開始した。残り1台も12月24日付で使用認可が下りて運転を開始している。主要機器はいずれも輸入品であり、水車はスイス・エッシャーウイス製、発電機および変圧器はアメリカ合衆国のウェスティングハウス・エレクトリック製のものを備える。当初の最大使用水量は1,300立方尺毎秒(36.17立方メートル毎秒)で、発電所出力は2万3,100キロワットであった。 送電線は関西への送電用に、既設須原発電所との間を結ぶ路線が1923年11月に架設された。さらに翌1924年(大正13年)1月には、関東地方への送電用に、東京電灯の送電線に接続する塩尻までの路線も建設されている。関東地方は50ヘルツ、関西地方は60ヘルツと周波数が異なるが、桃山発電所は東西双方への送電に対応するよう、50・60ヘルツ両方で運転可能な水車・発電機が導入された。こうした設備は日本で最初の試みであった。 完成後まもなく関東への送電が増加したため、50ヘルツ供給力の増強ならびに東西電力融通を図るべく、発電所構内に周波数変換器が2台設置された。大同電力では桃山発電所の発生電力とこの周波数変換器による電力の合計約5万キロワットを自由に東西双方向へ融通できるようになり、例えば関東で渇水が発生した場合には契約以上の電力を同方面へ送電し、逆に関東で余剰電力が生じた場合にはこれを大同電力で買い戻して火力発電の代替として関西へと送電する、といった運用が可能になった。
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