発展、伝統的荷役船
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/02 08:45 UTC 版)
英国産業革命に付随した変化の中で、ナロウボートは重要な位置を占めた。木製で、トウパスを行く乗組員(大抵は子供が先導する馬)が曵いた。ナロウボートはおもに貨物輸送用に設計された。一部は荷物用があり、乗客、郵便物、小包などを運んだ。 当初は乗組員は陸上に住んでいたが、1830年以降、水運が新興の鉄道との競争に入るにつれ、水上生活するようになった。その理由は、家賃が高かったこと、より早く遠くまでの仕事のために人手が必要であったこと、家族と離れないため、などがある。 船の後部は、絵葉書や博物館で見られるようなこぢんまりと奇麗な船室となった。その内装は暖かく、ヤカンは湯気を出し、真鍮が輝き、幻想的紐、塗装された家具、飾り皿……などと描写されることが多いが、実際の所は連日の重労働を強いられ、狭い所で衣食住することになり、快適からはほど遠かったが、陸の上の労働者も家族から離れ、劣悪な環境で働いていたのも事実である。移動家族にとっては子を学校に送ることは不可能であったので、多くが無学であり、村八分とされ、川岸に追われた。 20世紀初頭にディーゼル機関と蒸気機関が曵き馬に取って代わり、無動力の船を牽引することにより同じ労働力で多くの貨物を運べる様になった。広路運河以外では時々従船も舵を取る必要があったが、馬の世話をする必要は無くなった。幅広運河は大連合運河などがあり、ここでは二艘の船を並べてあたかも一艘のようにして閘門を通過することができた。 貨物用ナロウボートは1945年から65年辺りに絶滅し、ごくわずかの人が、伝統継承のために努力をしているにとどまる。これも、通常運航で石炭などの取引をしているわけではなく、保存のための限定的な運航である。 古い船の再生を行う熱狂的なファンが存在し、薔薇と城といった伝統的な装飾を施された模造船も多い。動力は馬に限らず、巨大で遅くうるさい再生ディーゼルエンジンや、「プレジデント」のような蒸気機関のものも存在する。
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