病死への反響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 08:07 UTC 版)
38歳の若さでの本田の死は社会に衝撃をもって受け止められた。本田の遺志により朝霞で行われた通夜にはファン・関係者合わせて2700人、告別式には3700人が参列した。彼女の公式ファンクラブは多数の要望により没後も存続することになった。 葬儀で弔辞を述べた岸谷五朗やテレビ番組をかけ持ちして思い出を語った岸田敏志、通夜に参列した後会見を行った南野陽子などが追悼のコメントを寄せた。海外ではブライアン・メイが彼女との思い出の写真とともに追悼のメッセージを自身のオフィシャルサイトに2日に渡り掲載した。 もう一人本田の訃報に反応を示した外国の音楽家がフィリッパ・ジョルダーノだった。本田は彼女のコンサートを聴きに行き、終演後に楽屋を訪ねて話をしたことがあった。彼女は2005年(平成17年)12月の日本でのクリスマスコンサートで、そうした経緯について説明した上で「ミナコ・ホンダに捧げる」としてシューベルトの「アヴェ・マリア」を歌った。 2005年(平成17年)12月16日にはフジテレビで追悼特別番組『天使になった歌姫・本田美奈子.』が放送された。これは本来は白血病からの復帰を前提として難病を克服した本田の姿を放送するために準備されていたもの。生前公私ともに親しくしていた岩崎宏美がナレーションを務めた。ほかにこの年のうちに『たけしの誰でもピカソ』、『題名のない音楽会21』、『ミュージックフェア21』、『徹子の部屋』などでも追悼特集が組まれた。翌2006年(平成18年)には『ドリーム・プレス社』でも追悼特集が放送された。『たけしの誰でもピカソ』ではさらに一周忌に合わせて二週にわたる詳細な特集が放送された。 テレビの訃報では「アメイジング・グレイス」を歌うライブ映像が繰り返し流された。また2006年(平成18年)7月から1年間公共広告機構(現:ACジャパン)の骨髄バンク支援キャンペーンに起用され、テレビ、ラジオのコマーシャルでは入院中に病室でア・カペラで歌った「アメイジング・グレイス」が流された。このため日本ではこの歌と本田の存在とが強く結びついて人々に印象づけられることとなった。この歌の作詞者ジョン・ニュートンの自伝「『アメージング・グレース』物語」(2006年12月7日、彩流社)を翻訳した中澤幸夫は「本田美奈子.さんがこの歌を広めたと言っても過言ではない」としている。
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