現在も著名な石庫門地域
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/03/02 18:06 UTC 版)
旧式の石庫門地域はあまり残っていない。1872年に建てられた興仁里は典型的な旧式石庫門建築のひとつとみなされている。これは北京東路にあり、24棟の2階建て住宅からなり、サイズは3間から5間まで様々である。幹道は107.5メートルの長さで、末端壁は観音兜様式の破風となっている。ここは1980年に取り壊された。 既に取り壊された著名な例に、新閘路の斯文里がある。この旧式後期の石庫門建築は4.66ヘクタールあり、床面積にして48,000平方メートルあった。2階建てもしくは3階建ての住宅が合わせて706棟あった。その殆どは1間の幅で、現代的な衛生設備は無かった。玄関は入り組んだバロック様式のまぐさ石が特徴的だった。元々は中産階級が住む地域だったが、日中戦争時に避難民が殺到し、混み合ったスラム街になった。この地域全体は2012年から2014年にかけて順次取り壊された。 陝西南路の歩高里1930年代に建てられたものだが、典型的な旧式石庫門建築のひとつである。この地域には、赤煉瓦で外装した2階建ての住宅が87棟ある。幹道は2.5メートルの幅で、多くの支道があり、それらの入り口が中国の伝統的な牌楼を模していることで知られる。上海の文化遺産として「現地保存」され、殆どが住宅用として残っている。 旧来の状態がほぼそのまま残っている最大の石庫門地域は建業里であり、文化遺産として保護されている。建国西路と岳陽路にある新式石庫門建築は260棟の住宅からなり、全て2階建ての赤煉瓦造りである。また中国の伝統的な馬頭牆形式の破風と、アーチ式の戸口で知られている。2003年にそれまで住んでいた住人達は立ち退き、批判はあったが、改装されて賃貸住宅、レストラン、その他の商業施設となった。 ギルバート・ライド(Gilbert Reid)が開いた尚賢堂のメインホールがある尚賢坊も、文化遺産として保護されている石庫門区域であり、現在は改装されて“石庫門ホテル”となっている。改装されたその他の石庫門区域には他に、大規模な改築が行なわれた新天地や、芸術的な風情を加えて小規模事業向けに再開発されたが以前の構造を大部分残している田子坊などがある。これらの再開発プロジェクトには、いつも批判がつきまとっている。 他に文化遺産として保護されている石庫門区域には四明村、梅蘭坊、栄康里がある。
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