現代の屋台
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 20:08 UTC 版)
第二次世界大戦後、闇市の屋台が広がっていった。正月の寺社や縁日など大きな行事の場所にはたこ焼き、焼きそば、綿菓子、玩具などを取り扱う屋台が出店する。このようなイベントに出店する屋台は、的屋と呼ばれる人たちによって営まれている場合が多かった。 移動式の屋台ではラーメン屋も商われており、チャルメラを鳴らしながら夜の街を流す。これは江戸時代の夜鳴き(夜鷹)そばに起源を発しており、夜間に夜の街を流す屋台もある。 こうした移動販売は店舗固定の飲食店と比較して低投資で取得が可能で、客が多い日時にだけその場所に出店できるため、個人の起業スタイルの一つともなっている。またこうした起業自体を商売とする、移動販売のフランチャイズビジネスも現れた。 更なる発展形として、移動販売の欠点[衛生面での業態の制限][道路交通法の問題][電気や給排水設備の不足][車内作業効率の悪さ]を解決した半固定型のユニット厨房や牽引式厨房車両も姿を現し始めた。 常設の(「屋台」ではない)小さな店舗を集めた「屋台村」と呼ばれる施設や飲食店街がある。これらは屋台ではないものの、町おこしのために観光名所、観光の目玉@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}とされる[誰によって?]。 春のまつりの屋台 今川焼きの屋台 まつりの屋台 まつりの屋台 屋台村 また、気仙地区の式年大祭は、これとは別に囃子屋台が出ており、花輪ばやしや、日高火防祭のような、屋台が出ており、内陸部に於いては、男装の少年少女が、たくさん乗り込んで、太鼓を叩く。比較的、小型で、音響を載せた屋台もあった。手踊りは、ほぼカラオケ音源だが、笛太鼓に乗せる物もあった。
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