狭義の霧島温泉郷とは? わかりやすく解説

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狭義の霧島温泉郷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/06 00:45 UTC 版)

霧島温泉郷」の記事における「狭義の霧島温泉郷」の解説

硫黄谷温泉 1714年正徳4年)、飯田喜八によって発見された。江戸時代書かれ温泉番付諸国温泉功能鑑』に「薩摩硫黄湯」として記載されており、皮膚病効能があるとされていた。江戸時代後期地誌三国名勝図会』にも挿絵とともに紹介されており、湯を患部当てる打たせ湯や、身分の高い者だけが利用できる殿様湯についての記述もある。1866年慶応2年)に坂本龍馬夫妻訪れた1949年昭和24年8月16日台風による山崩れ被害受けて移転し、現在では泉源のみ利用され近隣霧島ホテルに送湯している。 明礬温泉 明礬山から湧出しているためにこの名が付けられた。1869年明治2年)頃に宿泊施設設けられたが、山崩れのため廃止され泉源のみ利用されている。 栄之尾温泉 1744年延享元年)、安藤仲兵衛国広によって発見された。『三国名勝図会』には、硫黄谷温泉同じく打たせ湯設備持っており効能似ているが、湯の性質は穏やかであり症状に応じて選ぶことを勧める記述がある。1861年文久元年)、当時薩摩藩藩主島津忠義避暑地として利用された。1866年には坂本龍馬お龍夫妻訪れ、これが日本最初新婚旅行とされている。渓谷に湧く温泉は現在、林田温泉にあるホテル露天風呂緑渓湯苑」として利用されている。なお標高800m山中にある寒冷地であるため、冬季閉鎖される林田温泉 標高800メートル栄之尾温泉隣接する温泉地1929年昭和4年)、林田産業交通現在のいわさきバスネットワーク)の創始者林田熊一によって開発された。私設道路などが整備され近代的温泉保養地先駆けとなった。(現在の霧島いわさきホテル2017年平成29年11月6日をもって無期限閉鎖丸尾温泉 1819年文政2年)、横尾権太によって発見された。霧島温泉郷中心的存在となっている。 栗川温泉 1835年天保6年)、牧彦八によって発見された。

※この「狭義の霧島温泉郷」の解説は、「霧島温泉郷」の解説の一部です。
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