焼酎の歴史
焼酎の起源は、紀元前にエジプトで発明された蒸溜機「アランビック」で製造した蒸溜酒まで遡ります。蒸溜技術がいつ頃日本に伝わったかについては明らかではありませんが、少なくとも500年前には焼酎が飲まれていたことを示す古文書が南九州で発見されています。 古文書(鹿児島県大口市にある郡山八幡神社から発見されたもので、宮大工2名が永録2年(1559年)に書いたとみられる落書き)には、「神社の改修工事に際して、ケチな施工主は一度も焼酎をふるまってくれなかった。誠に残念である。」と書かれていました。このことにより、当時の南九州では、既に焼酎が一般市民に広く飲まれていたことが分かります。 焼酎の製造技術がどのようなルートで日本に伝わったかについては、 (1) タイから琉球へ伝わり、更に鹿児島、宮崎、球磨地方へ北上したという説 (2) 中国から朝鮮を経て北九州に南下したという説 その他いろいろな説がありますが、おおよそは複数のルートから相前後して日本に伝わり、その後各地の風土特有の原料・製法でつくられるようになって、現在の技法が確立したものと考えられます。製造方法は、焼酎が日本に伝わってから明治時代に至るまで、「らんびき」と呼ばれる釜状の蒸溜器で1回蒸溜するだけの単式蒸溜でした。甲類焼酎の連続式蒸溜法が発明されるのは、明治時代の後半です。焼酎そのものがどのような経路で日本に伝わったかについては、次の説があげられます。 【琉球経路】 14世紀の琉球(現在の沖縄)は、日本を始め明国(中国)、朝鮮(韓国)、南海諸国などとの海上貿易の拠点になっており、種々の蒸溜酒を日本にもたらした。 【南海諸国経路】 倭寇と称する武装商船団(海賊)が、朝鮮半島や中国大陸沿岸、更には南洋海上に進出しており、海上取引品の1つとして焼酎を日本に運んだ。 【朝鮮半島経路】 日本は、琉球、朝鮮、南海諸国はじめ西洋諸国などとも活発に交易を行っていた。交易品の中には酒類も含まれており、朝鮮産のこうりゃんや米を使った蒸溜酒(焼酎)も対馬を経て日本にもたらされた。 |
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