激化した競争と相次ぐ撤退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 02:18 UTC 版)
1967年(昭和42年)、北口に地場資本の寄合百貨店として「サンポー(三宝)ショッピングセンター」が開業。サンポーの3階と4階のテナントには扇屋津田沼店(後の扇屋ジャスコ)がテナントとして出店した。 1976年(昭和51年)8月には、長崎屋津田沼店が開店。 1977年(昭和52年)7月1日、津田沼駅北口駅前の区画整理事業により、パルコと西友二館の西武津田沼ショッピングセンターが開業。11月には、新京成新津田沼駅ビルにイトーヨーカ堂津田沼店が開店。 1978年(昭和53年)2月には、イトーヨーカ堂向かい側に丸井津田沼店が開店。10月には、南口にダイエーと百貨店・津田沼髙島屋を核テナントに迎えたサンペデックが開業。 津田沼駅前には、西友、パルコ、丸井、高島屋、ダイエー、イトーヨーカ堂、長崎屋などといった大手流通業界の店舗が揃い、1978年(昭和53年)を中心に、新聞・雑誌に「津田沼戦争」「戦場にかける橋」(総武線上をかけただけでなく、当地にあった鉄道連隊もかけたと見られている) 、「津田沼も戦国時代」という見出しが現れた。 激しい競争を象徴するものとして、南口のダイエーのオープニングセールに対抗し、北口のイトーヨーカ堂はダイエーのセール品を無料で進呈するなど、日に日に両店の競争は勢いを増し、同じく西友などの北口周辺の店舗にも影響を及ぼすなどして価格競争は激化した。 これに対しサンポーは、中小のテナントに頼り、売り場面積や資本力が小さかった事が原因で売上が減少。テナントだった扇屋ジャスコが1978年2月に撤退するなど、テナントが続々と撤退。結果、サンポーは1978年7月に閉館した。 イトーヨーカ堂と目と鼻の先にあった長崎屋は、わずか3年余りで撤退し、1979年(昭和54年)3月には大塚家具のショールームとなった。 高島屋は百貨店として規模が小さく、2駅先の船橋駅前には船橋西武と東武百貨店船橋店といった百貨店が立地し、1981年にはららぽーとが開業し、ららぽーと内にはそごうが出店するなど、周辺商圏の激しい競合に耐えられず、業績不振により開店から10年目にあたる1988年(昭和63年)8月に撤退。 西友も、1985年(昭和60年)11月に全フロアから地下の食品売場に売り場縮小し事実上閉店。跡地は津田沼パルコレッツ館(現在の津田沼パルコB館)に業態転換した。
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