激化する反対運動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 14:06 UTC 版)
経由地となる東京都江戸川区や千葉県東葛飾郡浦安町(現・浦安市)・船橋市等では、都市計画の阻害になる点や当時の騒音問題になりつつあった『名古屋新幹線訴訟』が取り上げられ、さらに通過するだけで鉄道駅がないなどメリットが皆無であるとして猛反発した住民らが地元議会や首長に対して建設反対の強力な働きかけを行い、新幹線と関連すると思しき工事には抗議が寄せられた。 住民のみならず、革新知事として知られる美濃部亮吉東京都知事は、計画自体の凍結を主張した。先んじて成田新幹線構想を国に提言していた保守系の友納武人千葉県知事も、世間の"新幹線アレルギー"を背景に、「成田新幹線に絶対に反対ではないが、現在の計画には賛成できない」と難色を示すようになった。また市川市・船橋市・浦安町の各市・町議会では反対の決議も採択された。特に江戸川区では、区・土地区画整理組合・土地所有者8名が運輸大臣を相手取って工事認可の取消訴訟を行い、最高裁判所まで争われた。 また、成田新幹線が『新東京国際空港の象徴』として受け取られ、三里塚闘争を展開していた空港建設反対派(三里塚芝山連合空港反対同盟)からの反発も大きかった。このため用地買収もほとんど行えぬまま成田新幹線計画は暗礁に乗り上げ、完成予定の1976年(昭和51年)は元より、新東京国際空港開港の1978年(昭和53年)に開業することも不可能になった。
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