演義における孫夫人とは? わかりやすく解説

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演義における孫夫人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 16:04 UTC 版)

孫夫人」の記事における「演義における孫夫人」の解説

小説『三国志演義』では呉国太架空の人物孫堅第二夫人第一夫人呉夫人の妹)が生母という設定になっている身の回りには常に武装した侍女たち付き自身部屋には武具飾り立てられている、と描かれている。兄の孫権が呉侯であることから、彼女もまた臣下から「東呉郡主」(諸侯姉妹か娘の称号)と呼ばれている。 劉備との政略結婚の話の時に初め孫夫人の名前が出てくる。周瑜発案婚姻政策により劉備呼び寄せ当初殺そう考えていたが失敗したため、代わりに国内事実上拘留して骨抜きにさせるという計略立てる。しかし、趙雲諸葛亮より授かった策を用いることで、劉備孫夫人と共に荊州脱出することに成功する。夫となる劉備とは年齢30歳近く離れていたが、両人の仲は良好なものであったことになっているその後劉備孫権との関係が悪化する孫権は母の呉国太要望に従って張昭魯粛の策で孫夫人旧臣である周善という者を派遣させ、孫夫人に母の呉国太危篤との偽報を与え阿斗(後の劉禅)を引き連れて帰国させようとする。しかし、それを発見した趙雲張飛によって周善は斬られ、阿斗奪い返されたので、彼女は一人母国帰国することになる。 帰国した後の孫夫人については、原本写本によって違いがある。いわゆる「毛宗崗本」は、夷陵の戦い劉備戦死したとの誤報聞いて長江身を投げ後世姫祠」という廟がたてられたという挿話加えている。 なお、一般に知られる「弓腰姫」という二つ名や、孫夫人自身武装していたという設定は、吉川英治著の『三国志』にあるが演義にはない。 NHKの『人形劇 三国志』では「貞姫(ていき)」と名付けられ劉備前妻である淑玲(すうりん)と瓜二つであるという設定登場している。

※この「演義における孫夫人」の解説は、「孫夫人」の解説の一部です。
「演義における孫夫人」を含む「孫夫人」の記事については、「孫夫人」の概要を参照ください。

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