演義における最期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 14:48 UTC 版)
史書に書かれている魏延の死を予言する夢の話は、『演義』では諸葛亮が死去した日に見た夢とし、さらに趙直が真意を打ち明けた相手を費禕に設定している。諸葛亮の死を聞くと、楊儀の指揮下に入ることを拒否する。そして楊儀や諸将が自分を無視して撤退を開始したことを知ると、怒った魏延は手勢を率いて楊儀の後を追い南下する(第104回)。 魏延は楊儀の先回りをして桟道を焼き払い、退路を遮断してしまう。しかし楊儀は、姜維の進言に従って裏道から漢中に向かっている。一方の魏延は、背後に回りこんだ何平(王平)に攻め立てられて、配下の将兵が馬岱の300人を除き離散してしまう。馬岱が魏延に蜀に反逆し、南鄭を攻めて、簒奪することを進言すると、魏延もその策を採用している。 魏延が攻め込んでくると、楊儀は諸葛亮から死の直前に託された錦の嚢を開き、そこに書かれた指示に従い、魏延に向かって「『誰かわしを殺す勇気のある者がおるか』と三度叫ぶことができたら漢中を譲ってやる」と告げる。魏延が「誰かわしを殺す勇気のある者がおるか」と一声叫ぶと、その言葉が終わらないうちに、諸葛亮の密命を受けていた馬岱が「私はお前を殺す勇気があるぞ」と叫んで、魏延は彼によって背後から斬殺されてしまう(第105回)。
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