清真寺立ち退きの危機
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台北清真寺の完成からおよそ30年が経った1987年、台湾に帰国した台北清真寺の土地のもとの所有者である張子良が土地の返還を求めて台北地方裁判所に民事訴訟を起こした。裁判では三審とも台北清真寺側が勝訴したが、張子良は1993年の死去まで名義上の土地の所有者であり続け、死後は彼の12人の息子たちが主管官庁に土地の継承を申請したのち所有権を相続し、その土地の権利をセメント会社であ嘉新水泥公司(中国語版)(嘉新セメント社)に売却した。嘉新水泥公司は1997年に名義変更手続きを受けて登記簿上の土地の所有権となり、台北清真寺に立ち退きを要求した。これをうけて台北清真寺は取り壊しを避けるため文化資産保存法に基づく市定古跡への登録を目指した。1998年7月、台北市民政局は清真寺を訪問調査したが「年代が古跡としての基準に達していない」として保留とした。1999年3月18日にはムスリムであり国会議員である劉文雄(英語版)の働きかけで「清真寺的未来」(清真寺の未来)と冠された公聴会が国会議事堂で開かれ、その公聴会で配布された資料において台北清真寺は「台湾で唯一のアラビア式のモスクであり、イスラームの芸術的特色を備えていて、台北市という都市の国際的で多元的な文化の象徴を示している」とされた。1999年3月29日、台北市は清真寺や文化界などからの求めに応じて再度調査を行い、前年の決定を覆して台北清真寺を市定古跡として認定し、同年6月29日に正式に登録された。この認定について、古跡認定の責任者である台北市民政局の林政修局長はメディアに対して、台北清真寺の古跡認定は、清真寺自体の年代や芸術的価値ではなく、マイノリティの文化を尊重するという社会的意義があったことを強調した。また、この騒動において台湾メディアのほとんどは台湾の外交戦略上の位置づけやマイノリティ保護の観点から清真寺の取り壊しを中止するべきであるという立場だった。
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