海外への伝播
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/02 03:43 UTC 版)
室鳩巣が『赤穂義人録』を漢文体全2巻1冊で著わしており、上巻は赤穂藩主浅野長矩が江戸城松の廊下で吉良義央に刃傷を起こした事件から、赤穂藩の家老であった大石良雄ら四十七士が吉良を討ち取って江戸幕府から切腹を命じられた経緯が時系列に記され、下巻は大石以下四十七士の経歴や逸話が記されている。青地兼山(鳩巣の門人)の『兼山秘策』によれば、新井白石や対馬藩士との話で四十七士に関心を持った朝鮮通信使のために漢文体による赤穂事件の史料を求めていた対馬藩家老・平田直右衛門の要請を受けて、鳩巣が通信使に『義人録』の写本を与えることになり、鳩巣は兼山への書状で「四十七士に対して、私もずいぶん奉公したものです」と報告している。 鳩巣は同書を単に四十七士の称賛する目的だけで作ったのではなかった。奥村脩運の跋文には『資治通鑑綱目』に比するものを目指し、上は朝廷から下は士庶に至るまで、さらに異域(海外)でも読まれるようになることを期待していたと記している。実際、鳩巣は日本の慣習を知らない海外の読者を意識して、朝廷と幕府の二重体制や公武関係の説明を省いて幕府を含めて「朝廷」と表記し、日本独自の習慣と思われるもの(名乗りの方法、月代のスタイル、仏教による葬儀など)は全て「和俗」であると断りを入れている。 中国では清代に『海外奇談』文政3年(1820年)として赤穂事件が漢文で出ている。近年でも中国語や韓国語に赤穂事件は翻訳され、赤穂市は両国語話者の留学生も受け入れている。
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