流行とその背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/09 13:54 UTC 版)
宮古島では、1971年に大干魃が起きた事を発端として、その生活環境が激変した。農業生産が激減し、飲料水にも困ったため沖縄本島南部の都市部に移り住む人が多く増え急激な過疎化が起こった。1960年代から1980年代にかけて、8万以上有った人口が激減し8割の6万人台までに落ち込んだ。そうなるとそれまであった村単位の共同体が機能しづらくなり、それまで共同体で行っていたお祭り等が廃れた。 宮古島では、明治時代の中頃まで住居の移動の自由が制限されていたため1970年代の人口の変動はこの地域に大きな変質をもたらした。それまで共同体の中で数百年以上かけて培った人間関係も大きく変質することになった。飲酒の環境も激変し、人口が減少し祭祀等が減った分だけ泡盛の消費量も減少傾向にあった。 1970年代後半になってから、泡盛の酒造メーカーが、泡盛の消費量を向上させるための宣伝で、風習にあったものをかなり簡略化・変形して居酒屋等でも行われるようになった。現代あるオトーリは、かつて神事の中で行われた儀礼とは全く趣を異にしている。それは、泡盛の消費を促進する目的で流行させられたモノである。併せて、そのオトーリによりそれまで有った濃密な人間関係を擬似で一時的に演出する事にも成功した。 ちなみに、1970年代平良の街では、オトーリが行われることはまず無かった。1980年代に歓楽街等で行われるようになり、1990年前後に宮古島の観光業が盛んになると観光客に広まり、全国に知れ渡った。 この流行としてのオトーリから各方面に悪い影響を多く与えた。伝統文化(これまであった祭祀・儀礼に対する無理解)の破壊、流行としてのオトーリを廃止すべきだと言う声も根深い。
※この「流行とその背景」の解説は、「オトーリ」の解説の一部です。
「流行とその背景」を含む「オトーリ」の記事については、「オトーリ」の概要を参照ください。
- 流行とその背景のページへのリンク