流行のきっかけ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/02 09:59 UTC 版)
半山の『当世人物評』は洒脱で辛口な文章と、次々と繰り出される新語・造語でテンポ良く読ませるスタイルをとっており、他にもチヨム髷党、ピストル党、コスメチツク党、ネクタイ党等々の語が新作されたが、本人曰くこれらは「少しも流行しなかッたが、唯此のハイカラと云ふ一語だけが、馬鹿に大流行を来した」(石川、1912)という。 なぜハイカラという語のみが流行したかについては、石井研堂(1908)が『明治事物起源』という本の中の「ハイカラの始」という項で説明している。それによれば1900年(明治33年)8月10日、竹越与三郎の洋行送別会が築地のメトロポールホテルで催された際、来客の何人かが演説をしたが、そのうちの一人である小松緑がハイカラーであることはむしろ文明的で、ハイカラを揶揄していた張本人の半山(彼も出席していた)でさえ今夕はハイカラーを着ているではないかと滑稽演説をし、このことが各新聞で取り上げられたことで流行したとしている。 これら初期の経緯はそれぞれ以下のように解説されている。
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