沿道風景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 03:18 UTC 版)
歩道上には「十一丁」などと刻まれた石碑が建っているが、これは1888年(明治21年)に長野駅を開設する際、その位置を阿弥陀如来の四十八願の内第十八願(すべての願を集約する王本願とされる)に因み「善光寺から18丁(≒1.8km)」と定めたことから、善光寺から長野駅までの間1丁(≒110m)おきに碑を置いたものである。大門町付近の「三丁」碑から始まり、「十八丁」碑は長野駅コンコースにある。 戦後から中央通り沿いには48基(24対)の灯籠が建っていたが、歩道部分へのアーケード設置のため撤去されていた。アーケードが撤去された現在、2009年(平成21年)の善光寺前立本尊御開帳に向けて灯籠の復元事業が進められており、同年1月時点で28基の灯籠が設置されている。灯籠はヒノキ製で、明かり部分には2008年(平成20年)2月に開かれた第5回長野灯明まつりでの「ゆめ灯り絵展」入賞者の切り絵作品がはめこまれている。 新田町交差点以北では門前町としての修景に力が入れられており、高層ビルについても低層部は瓦屋根とし、高層部は圧迫感のないよう道路に対して45°の角度で建てられている。 善光寺交差点に長野市道路元標が置かれている。 善光寺まで1.4kmにわたり続く街路樹はカツラであるが、これは善光寺本堂の柱にカツラが用いられていることに由来する。
※この「沿道風景」の解説は、「長野中央通り」の解説の一部です。
「沿道風景」を含む「長野中央通り」の記事については、「長野中央通り」の概要を参照ください。
沿道風景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/28 10:30 UTC 版)
「首都高速神奈川2号三ツ沢線」の記事における「沿道風景」の解説
特記の無いものは銀座・羽田方面からの下り線のものであり、遮音壁等で見えない物も含む。 金港JCTで高架となっている(K1)横羽線から分岐する。上層が下り線三ツ沢方面、下層が上り線銀座・羽田方面の2層の高架のまま、横浜駅のすぐ品川よりの京急本線・東海道本線(京浜東北線・東海道線・横須賀線)を跨ぎ、トンネル内の東急東横線と交差する。跨ぐあたりより、帷子川の支流の派新田間川の上を蓋をするように走ることになる。鉄道を跨ぐとK1の新山下・横浜公園方面の車線と合流する。 横浜駅西口出口への出路分岐後に、トンネル内の横浜市営地下鉄ブルーラインと交差する。派新田間川は横浜駅西口出入口への入出路と平行するように高速下を離れるが、三ツ沢JCTまでは帷子川分水路の近くを走ることとなる。横浜市主要地方道83号青木浅間線を跨ぐと南軽井沢トンネルに入る。南軽井沢トンネルを出ると三ツ沢出口への出路を分岐後出路と平行して三ツ沢トンネルに入る。この付近より、上下線の位置が反対方向と比較して多少左側にずれてくる。上り線の三ツ沢本線料金所はこの三ツ沢トンネルの出口に位置し、上り線の三ツ沢入口はトンネルの手前で合流する。 三ツ沢トンネルの出口からは上下線がほぼ横に並ぶ形となり、横浜生田線を跨ぐ箇所で、直進となる第三京浜方面と横浜新道方面が分岐する(上り線の横浜新道方面の合流はその先である)。
※この「沿道風景」の解説は、「首都高速神奈川2号三ツ沢線」の解説の一部です。
「沿道風景」を含む「首都高速神奈川2号三ツ沢線」の記事については、「首都高速神奈川2号三ツ沢線」の概要を参照ください。
- 沿道風景のページへのリンク