没後の仏教説話
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武帝の崩御後に、数種の説話伝承が流布していたことが知られている。いずれも、廃仏皇帝の因果応報としての末路を示す宗教性の強い伝説である。冥界説話や応報説話の形をとり、まだ寿命のある人が、誤って閻魔王のもとに送られ、審判の結果、その誤りが判明して蘇生し、見聞したさまを語ったという構成をとっている。 現世においては廃仏を断行した皇帝であっても、地獄においては一亡者に過ぎず、その責め苦が辛酸を極めていること、武帝は自らの過ちを深く後悔しており、生前の誤った廃仏政策を撤廃し、現皇帝である隋の文帝に修功徳事業を推進することを勧める内容である。 同時に、往々にして説かれる武帝の話説によれば、彼を煽動した衛元嵩は、閻魔王の管轄外にあって、武帝の受けているような地獄での仏罰を受けていない。三界をくまなく捜索しても、その姿を発見し得ないのである、と説かれる。よって、そのような元嵩を閻魔王庁に連行することも、やはり功徳になる、ということが説かれている。 また、文帝が仁寿舎利塔の造立に見られるような功徳を積めば、その福田の余慶が武帝にも及び、その責め苦が軽減されるのだ、ということも述べられる。
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没後の仏教説話
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/07 04:32 UTC 版)
武帝が崩御し、元嵩も没した後に、数種の説話伝承が流布していたことが知られている。いずれも、廃仏皇帝である武帝の因果応報としての末路を示す宗教性の強い伝説である。冥界説話や応報説話の形をとり、まだ寿命のある人が、誤って閻魔王のもとに送られ、審判の結果、その誤りが判明して蘇生し、見聞したさまを語ったという構成をとっている。 現世においては廃仏を断行した武帝も、地獄においては一亡者に過ぎず、その責め苦が辛酸を極めていること、帝は自らの過ちを深く後悔しており、生前の誤った廃仏政策を撤廃し、現皇帝である隋の文帝に修功徳事業を推進することを勧める、という内容である。 同時に、往々にして説かれる話説によれば、一方の、武帝を煽動した衛元嵩の方はと言えば、閻魔王の管轄外にあって、武帝が受けているような地獄での仏罰を受けていない。三界をくまなく捜索しても、その姿を発見し得ないのである、と説かれる。よって、そのような元嵩を閻魔王庁に連行することも、やはり功徳になる、ということが説かれている。 また文帝が仁寿舎利塔の造立に見られるような功徳を積めば、その福田の余慶が武帝にも及び、その責め苦が軽減されるのだ、ということも述べられる。 これらの説話の背景には、隋より唐初期、更に武周期に及ぶ間の時代に、数種の衛元嵩作とされる予言詩、童謡が巷間に流布しており、それらが、王朝の交代を予言したものとして受容されていた事実と符合するものと考えられる。つまり、廃仏扇動者として非難する論調が存在した反面で、その神異・霊異の力を容認し、一面では実権者側が、その力を利用するような風潮が、持続していたことの現れが、この説話における元嵩に対する一種ねじれた扱いであると考えられる。 実際、唐末より北宋初に書かれた『北山録』の注には、元嵩がその霊力を失い、地獄で廃仏の報応を受けていた、とする説話の断片が記録されている。また、その獄中の元嵩を見聞して現世に戻る役割は、唐の太宗李世民が担っており、これは、『西遊記』中に冒頭で語られる太宗の入冥説話との関連を伺わせるものである。
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