没後のイベント
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1997年11月18日、AC/DCはスコットへの追悼として、ボックス・セット『ボン・ファイアー (Bonfire)』をリリースした。このセットには、『バック・イン・ブラック』のリマスター盤、別テイク、アウトテイク、未発表ライブなど「レアリティーズ」を集めた『Volts』、2枚のライヴ・アルバム『Live from the Atlantic Studios』と『Let There Be Rock: The Movie』の合わせて4枚のアルバムが収められた。 『Live from the Atlantic Studios』は、1977年12月7日にニューヨークのアトランティック・スタジオで録音された。 『Let There Be Rock: The Movie』は、1979年12月9日にパリのパヴィリオン・ド・パリで録音された2枚組アルバムであり、映画『AC/DC: Let There Be Rock』のサウンドトラックでもある。 AC/DCは2003年に、ロックの殿堂入りを果たした。この授賞式の壇上には、バンドのメンバーとともに、スコットの家族が出席し、スコットに代わってこの栄誉を受けた。 2003年には、『ローリング・ストーン』誌の選んだ「史上最も偉大なアルバム500」の199位に、ボン・スコットが参加したAC/DCの最後のアルバムである1979年の『地獄のハイウェイ (Highway to Hell)』がランクされた。 2004年には、『ローリング・ストーン』誌の選んだ「史上最も偉大な歌500」の254位に、ボン・スコットがヤング兄弟と共作した「地獄のハイウェイ (Highway to Hell)」がランクされた。 イギリスの雑誌『Classic Rock』2004年7月号の「最も偉大なフロントマン100」で、スコットは、フレディ・マーキュリーやロバート・プラントを抑え、第1位にリストされた。 2006年5月6日、スコットランドのキリミューアの町は、スコットを記念したケイスネス石の石板の除幕式を行った。この式では、スコットの長年の友人でありザ・ヴァレンタインズのメンバーとして同僚であったヴィンス・ラヴグレイスのメッセージが読み上げられた。 「 私が一番愛したボン・スコットの美点は、他の人間にはまず見られないほど自分に正直であるということだった。見た目そのままが実際で、彼は本物の人物であり疑いもなく正直だった。私にとって、彼は同世代を、そしてその後の世代を代表するストリートの詩人だった。 」 2008年2月24日、ボン・スコットの銅像が、西オーストラリア州パースで公開された。この像は、マーシャルのアンプの上に登ったスコットの姿を写したもので、同年10月にフリーマントル・フィッシング・ボート・ハーバーに設置された。 2008年12月4日、ボン・スコットに関する映画が進行中であるとネット上のニュースサイト「Undercover.com」で報じられた。AC/DCの代理人は、レコード会社のウェブサイトでこの報道を認めた。この報道を受けて、スコットのひとり息子だと自称しているメルボルン在住の男性は、演技経験が全くないにもかかわらず、「父」の役は自分が演じたいと表明した。
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