汎用機関銃の普及と軽機関銃の復活
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「軽機関銃」の記事における「汎用機関銃の普及と軽機関銃の復活」の解説
大戦後の西側諸国もドイツ軍の方針を踏襲して、歩兵分隊の銃器を自動小銃と汎用機関銃に統合化し、軽機関銃は廃止される方向にあった。これに対し、東側諸国では汎用機関銃は中隊レベルの装備とされて、これとは別に分隊レベルのための軽機関銃も維持していた。また歩兵用小銃とあわせて分隊用の軽機関銃も中間弾薬に移行しており、1953年にRPD軽機関銃を導入したのち、1961年からは、AKM小銃をもとに開発されたRPK軽機関銃に移行した。 ベトナム戦争において、東側の武器体系を採用するベトナム人民軍は分隊用の軽機関銃を装備していたのに対し、アメリカ軍は汎用機関銃であるM60機関銃のみを装備していた。しかし特に徒歩行軍の機会が多い熱帯雨林や山岳地域での戦闘において、機関銃本体も弾薬も重く嵩張るM60は輸送のために労力を要し、決定的に不利であった。この経験から、アメリカ軍でも軽機関銃の重要性が再認識されるようになり、1970年代には分隊支援火器(SAW)として正式な計画が発足、1986年にはベルギーで開発されたミニミ軽機関銃がM249軽機関銃として採用された。 その後、2001年にアフガニスタン紛争が始まると、600メートルを超える長距離での交戦が当たり前となったことで、特に5.56mm弾の有効射程の短さが重大問題となった。この問題に対して、イギリス軍はL7汎用機関銃を再び分隊レベルに配備することで対応した。またアメリカ軍も、同様にM240B中機関銃を分隊レベルでも使うようになったほか、軽量型のM240Lも開発された。一方、アメリカ海兵隊はH&K HK416小銃をベースとしたM27 IAR(歩兵自動小銃)を装備化し、発射弾数よりも精密射撃を重視した制圧というコンセプトを打ち出した。ただしIARについては持続射撃能力の不足という問題があり、従来のM249軽機関銃を完全に代替することは困難と考えられている。 RPK軽機関銃 M249軽機関銃
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