毛沢東政権下の犠牲者数
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「マオ 誰も知らなかった毛沢東」の記事における「毛沢東政権下の犠牲者数」の解説
本書は毛について、「毛沢東――世界人口の四分の一を占める中国人民を数十年にわたって絶対的に支配し、二〇世紀指導者の誰よりも多い七〇〇〇万有余人という数の国民を平時において死に追いやった人物」としている。 チアンとハイデイは「毛が核兵器による超大国化を達成するためなら中国人民の半分が死ぬことも求めていた」と主張している。この時代の犠牲者の数の推定は様々だがチアンとハイデイの推定は最も大きなものの一つである。イギリスの現代中国研究者のスチュアート・シュラムは、その本の論評の中で「その正確な数字は博識な作家によって4千万人から7千万人の間と推定された」と指摘した。中国統計年鑑2017年版で示された人口減と、当時の中国の年間新生児出生の三倍を合計すると7000万人を超えるのは事実であり、楊継縄もこれを支持している。 中国の学者は、大躍進政策による飢饉のために数千万の犠牲者が出たことには同意しているが、死者数はほのめかされている。チアンとハリデイは、この期間は7千万人の犠牲者全体のおよそ半分を出したと主張している。BBCのアジア駐在のジャーナリストで伝記作家フィリップ・ショートが2000年に出した著書<Philip.Short Mao-A Life> では2千万から3千万人の死者数が最も信用できるとしているが、中国共産党第十一期中央委員会第三回全体会議は「文革時の死者40万人、被害者1億人」と推計しただけで死者数の公表を避けた。 チアンとハイデイの数字は、3767万人であり、スチュアート・シュラムはこの見解を「多分最も正確」と信じていると述べている。2005年に世界におけるデモサイドの更新された数字を発表したR. J. ランメル教授はチアンとハイデイの推定が最も正確であると信じ、それに基づいて毛の支配地域についての数値を修正したと述べている。
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