毛沢東暗殺計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 17:41 UTC 版)
さらに、林彪らの動きを警戒した毛沢東が、林彪とその側近に対し粛清に乗り出したことから、1971年3月27日には、林彪の息子で空軍作戦部副部長だった林立果が中心となり、地方視察中の毛沢東を爆殺し、同時にその後の権力掌握のためのクーデターを実行し、広州で新政権を樹立することなどを画策した計画書「五七一工程紀要」(「五七一/Wǔqīyī」=「武装起義/Wǔzhuāng Qǐyī」、いわゆる「クーデター」)を作成することになる。 なお、林立果らは「五七一工程紀要」の中で、「毛沢東は真のマルクス・レーニン主義者ではなく、孔孟の道を行うものであり、マルクス・レーニン主義の衣を借りて、秦の始皇帝の法を行う、中国史上最大の封建的暴君である」、「中国を人民の相互軋轢によるファシズム独裁国家に変えてしまった」という記述を記している。
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