毛沢東死後と中越戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 10:16 UTC 版)
「チベットの歴史」の記事における「毛沢東死後と中越戦争」の解説
1976年9月、毛沢東が死去し、翌月に文化大革命が終結。中国共産党のチベット政策にも変化が現れ、宗教がある程度認められ、破壊された寺院が各地で再建されるようになった。1977年には中国は、ダライラマに帰国を呼びかけ、中国共産党とダラムサラのチベット亡命政府は協議を開始する。 1979年2月、ダライラマの兄ギャロ・トンドゥプが北京を訪問し会談を行った。中国政府は亡命チベット人のチベット視察を認めるようになり、1979年から1980年にかけて視察代表団が計3回チベットに派遣された。 1979年2月に中国はベトナムを侵略、中越戦争が勃発しベトナム北部を一時制圧したが中国は撤退した。最前線部隊のチベット人も犠牲となった。
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