死刑求刑・死刑判決
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 13:57 UTC 版)
「古谷惣吉連続殺人事件」の記事における「死刑求刑・死刑判決」の解説
1971年(昭和46年)2月16日に神戸地裁(中川幹郎裁判長)にて論告求刑公判が開かれ、神戸地検の中村恵検事は被告人・古谷惣吉に死刑を求刑した。論告の要旨は以下の通り。 「物的証拠の数々から古谷が一連の連続殺人事件の犯人であることは間違いなく、調書は古谷自身が点検して1枚ずつ拇印を押しており信憑性がある」 「古谷が真犯人と主張する“岡”という人物は、以前心服していた福岡県警の巡査の名前を借りた架空の人物で実在しない。古谷はかつて坂本とともに、本件に類似した強盗殺人を犯して起訴された際、「自分は殺人行為に加担していない」と弁解・主張し、それがある程度裁判所に採用されたことで、自身は坂本と違い死刑を免れたという劇的な経験をしているため、今回も自分の刑事責任を免れるために作り話をしている」 「幼少期に母親と死別して継母にいじめられるなど不幸な家庭に育ったことは同情できるが、8人もの命を奪った凶行への情状酌量にはならない。尊い多数の人命を虫けらのように奪った稀に見る凶悪犯罪で、死刑廃止論者でもこの求刑には異議を申し立てないだろう」 事件当時、兵庫県警の刑事として古谷を取り調べ、「罪は償うべきだ」と説得して自供させた沼本は、後に古谷が刑事裁判で死刑を求刑された際に「8人も殺した罪は許されないが、自分が刑事時代に関係した人物が死刑を求刑されることは寂しいものだ」と述べている。 1971年4月1日に第一審判決公判が開かれ、神戸地裁第二刑事部(中川幹郎裁判長)は神戸地検の求刑通り、被告人・古谷惣吉に死刑判決を言い渡した。神戸地裁は強盗殺人未遂として起訴された2事件(8月19日・11月17日の事件)については「強盗罪」と認定したが、他の強盗殺人7件はいずれも起訴状通りに認定した。その上で、判決理由で弁護人の「古谷は犯行当時、心神喪失ないし心神耗弱状態だった」とする主張を「激怒しやすく短気な性格ではあるが各犯行の手口や、犯行後に事件を隠蔽するため扉を施錠するなど冷静な行動を取っている点からは精神障害は認められず、行為の善悪を分別する能力はある」と退け、「犯行は残忍・冷酷で、日本の犯罪史上例を見ない。極悪非道で天人ともに許されない犯罪」と断罪した。
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