死刑求刑から確定まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 06:49 UTC 版)
2002年2月12日、検察側より死刑が求刑される。その最大の理由として「松本サリン事件で多数の死傷者が出たことを知りながら、地下鉄サリン事件ではサリン生成の責任者を務めたこと」が強調され、さらに(1)「自らの意思で積極的に教団の違法行為に関与してきたこと」・(2)「一連の犯行の動機は教団内での昇進にあり、情状酌量の余地がまったくないこと」・(3)「公判において虚偽の否認を続けたこと」が死刑求刑の要旨とされた。 2002年5月8日の最終弁論では「裁判官と検察官、弁護人には長い裁判をしていただき、お礼を申し上げます」と述べ、事件の被害者や遺族への謝罪をすると、次に「誤解される可能性のある事柄(事件における自己の役割等)」について細やかな注釈を事務的に読み上げた。 2002年10月11日の第一審で死刑判決が下された。量刑の結論はやはり「松本サリン事件における悲惨な結果を十二分に認識していながら、地下鉄サリン事件に使われるサリンを生成したこと」だった。思惑通り死刑は免れると考えていたのか、「死刑」の宣告を受けると青ざめた顔で弁護人を振り返った。 2007年5月31日の控訴審も一審に続き死刑。一審では、麻原と決別しようとする意思の表明として麻原を「麻原さん」と呼ぶことを貫いていたが、ここでは「尊師」呼びに改められた。供述姿勢についても同様で「尊師に帰依している」「死刑になるのは自分たち12人の弟子だけでいい。尊師は未来仏なので、執行しないでください」と述べるなど、揺れ動いた。2011年11月21日、上告審である最高裁第1小法廷において上告棄却。同年12月12日に判決訂正申し立ての棄却決定、死刑が確定した。オウム真理教事件で死刑が確定するのは13人目。この判決をもって、当時特別指名手配中であった被疑者3名(平田信・菊地直子・高橋克也。この3人はその後逮捕)を除く、オウム真理教事件で起訴された被告人全員の公判が終結した。
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