歩兵第170連隊とは? わかりやすく解説

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歩兵第170連隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/13 06:58 UTC 版)

歩兵第170連隊
創設 1938年
廃止 1943年6月 
所属政体 日本
所属組織  大日本帝国陸軍
編制単位 連隊
兵科 歩兵
所在地 兵庫 - 篠山 
通称号/略称  
上級単位 第104師団 
最終上級単位 独立混成第21旅団
最終位置 ニューギニア
戦歴 日中 - 第二次世界大戦
特記事項 軍旗海没による懲罰解散連隊
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歩兵第170連隊(ほへいだい170れんたい、歩兵第百七十聯隊)は、大日本帝国陸軍歩兵連隊のひとつ。

概要

支那事変中の1938年(昭和13年)6月に、大阪第4師団歩兵第70連隊篠山)の特設部隊として第104師団篠山)の歩兵第170連隊が編成。張鼓峰事件発生のため、大連より間島省に進出するも停戦協定が締結。矛先を華南に転じ広東方面を転戦。仏印進駐により第104師団隷下を脱し、印度支那派遣軍に編入。印度支那派遣軍は独立混成第21旅団に改編。大東亜戦争が開戦後も仏印の警備。1942年(昭和17年)9月、太平洋島嶼防備強化のため、大宮島大鳥島に転用下令。アメリカ軍ガダルカナル島来寇のため連隊主力は大宮島より南東方面へ転用。乗船中の輸送船が撃沈された際に軍旗を喪失し、その後の戦闘で大打撃を受けると解隊された。

沿革

  • 1938年(昭和13年)
  • 1939年(昭和14年)
    • 1月13日:花県・白泥水河畔で支那軍を撃破。
    • 1月20日:再び広東市北郊の警備のため鳳凰山一帯に陣地を構築。
    • 4月5日 :広東奪還を目論む支那軍を獅前市・花県北方付近で撃破。
    • 4月22日:第107旅団(西山福太郎少将)の江門・新会方面(広東南方)の戦闘に歩兵第108連隊とともに参加。
    • 6月9日 :広東市西方の三水に移駐、警備。
    • 8月25日:再び広東市内の警備。
    • 9月2日 :夏季作戦に参加。花県に進撃し高百丈の支那軍拠点を攻略。
    • 12月2日 :二一六高地の戦闘。
    • 12月18日:源潭墟・鮮水坑・羊仔山・伯公拗付近の戦闘を経て泡江を渡河。
    • 12月18日:支那国民党政府の汪兆銘行政院長が支那事變の平和的解決を目指し重慶より亡命。我が国は汪を全面的に支援。政権基盤を確固たるものにすべく支配地域の拡大を目指し、19日、第11軍(岡村寧次中将)の翁英作戦に参加、粤漢線に沿って北上。
    • 12月30日:第7中隊(西面治作中尉)が英徳城に一番乗りを果たします。
  • 1940年(昭和15年)
    • 1月5日 :粤漢線の打通・占領地域の拡大は困難と判断され翁英作戦は終了。
    • 1月13日:広東北方の太平場の警備。
    • 5月21日:第11軍宜昌作戦の陽動として南支那方面軍[注釈 1]の良口作戦に参加。従化公路を北上し鴨洞谷地で支那軍と交戦。第7中隊長・西面中尉が散華するなど大損害を受けながらも敵主陣地の九六九高地高地を占領し敵を東方に圧迫、宜昌作戦の成功に伴い太平場に帰還。
  • 1941年(昭和16年)
    • 1月13日 :『軍令陸甲 第四號』により臨時編成下令。連隊は第104師団から印度支那派遣軍西村琢磨少将)隷下に転属。
    • 1月20日:連隊は命令を受領し歩兵第161連隊(板津直剛大佐・和歌山)に警備を引き継ぐ。
    • 1月23日:輸送船3隻に分乗し黄埔を出航。
    • 1月25日:ハイフォンに上陸。駄馬編成(乙装備)から自動車(甲装備)に改編。連隊本部・第1大隊はハイフォン、第2大隊は派遣軍司令部の位置するハノイ及び東北方フーランチョン、第3大隊はバグニン、ヌィディオ周辺に屯営し警備・援蒋ルート遮断・国境偵察などに従事。
    • 7月   :印度支那派遣軍は独立混成第21旅団に改編。
    • 12月8日:大東亜戦争が開戦。仏印軍の暴発に備えパグマイ飛行場の接収、仏軍武装解除、停車場・発電所・水源地の警備、通信機関の接収、市内交通の遮断を実施、再び警備。
  • 1942年(昭和17年)
  • 1943年(昭和18年)
    • 1月13日:軍命令により包囲されている南海支隊救援のためブナ・ギルワ河方面に進撃を開始しますが、兵力・物量に優る米豪軍の包囲を受け損害が増加。
    • 1月20日:軍命令により独立混成第21旅団・南海支隊はクムシ河まで転進集結。舟艇輸送によりマンバレーに移駐、警備。
    • 2月8日 :ラエサラモア付近に移駐。
    • 2月20日:マギリに移駐。
    • 3月17日:ラエ東方のホポイに集結。
    • 6月12日:『大陸命第八百號』により歩兵第170連隊は復帰(現役・若年兵の一部は他隊に転属)。
    • 6月22日:連隊本部を始めラバウルに転進し復員完結。[注釈 6]
    • 12月23日:軍事参議会で歩兵第170連隊を将来再編成しない件が可決された[1]

大鳥島に分派された第2大隊

  • 1942年(昭和17年)
  • 1943年(昭和18年)
    • 6月12日:『大陸命第八百號』により歩兵第170連隊は復帰。南海第3守備隊近森重治大佐)に改編。東部軍土肥原賢二大将)に編入。
    • 9月   :連隊主力残部と独立混成第21旅団の残存一部(旅団戦車隊.等)も、編合されることになったが、再び潜水艦攻撃を受け海没。トラック島で再編後に到着。
    • 10月6・7日:敵艦載機約500機の空襲、及び艦砲射撃を受け、飛行場・砲台など地上施設も甚大な被害を受ける。戦死360名(陸58名・海302名)。
  • 1944年(昭和19年)
    • 1月1日 :独立混成第5連隊第1大隊(三井彌一大尉)940名、戦車第16連隊(八代重規中佐)の九五式軽戦車18両が南海第3守備隊に編入。
    • 2月25日:南海第3守備隊は東部軍から第31軍小畑英良中将)直轄に編入。
    • 5月24日:敵艦載機350機の空襲を受け、敵機30機を撃墜するも、戦死32名(陸9名、海23名)、地上施設に損害を受ける。
    • 6月3日 :南海第3守備隊は独立混成第13連隊に改編[注釈 7]
  • 1945年(昭和20年)
    • 8月16日:戦局の悪化に伴い糧食不足が深刻化、敵上陸に備え迎撃訓練を実施するなか、停戦。
    • 10月5日:復員船の病院船橘丸」に乗船。
    • 11月1日:病院船氷川丸」に乗船し浦賀に上陸。
    • 11月14日:復員完結[注釈 8]

歴代連隊長

歴代の連隊長
(特記ない限り陸軍大佐
氏名 在任期間 備考
1 古賀龍太郎 1938.6.6 -
2 米山米鹿 1940.8.1 -
3 久保宗治 1941.6.28 -
渡辺嘉幸 1942.3.28 -

注釈

  1. ^ 2月9日、第21軍から改編・安藤利吉中将。
  2. ^ 大宮島大鳥島に転用。
  3. ^ 連隊旗手・富倉久夫少尉は軍旗の覆いを外し、旗竿から軍刀で切り離し軍旗を防水嚢に収納し背負い、旗竿は連隊乙副官・上田建中尉が捧持しそれぞれ脱出したが、両名を含む228名の将兵が散華、軍旗も海没。
  4. ^ 連隊長以下の残存将兵は僚艦に救助されてラバウルに到着したが、連隊長は軍旗喪失に責任を感じ駆逐艦追風」内で割腹未遂事件を起こし、精神を患って戦線離脱することになった 。
  5. ^ 軍旗再下賜を申請するが却下される。
  6. ^ 連隊は、喪失した軍旗の再下付を再三申請していたが、かなわないままの現地解隊となった。軍旗を喪失したことによる懲罰的な解隊処分であったとも言われる。
  7. ^ 指揮系統の一本化のため、分派増援されてきた独立混成第5連隊第1大隊や戦車第16連隊主力などと統合されて、独立混成第13連隊が編成され、歩兵第170連隊系の将兵の多くはその第1大隊要員となった。 終戦まで大鳥島には連合国軍の上陸が無かったものの、空襲や艦砲射撃、補給途絶による食糧難や医薬品不足に悩まされ、多くの死者を出した(ウェーク島の戦い#1942年以降のウェーク島の戦況も参照)。
  8. ^ 終戦後に復員したのは、連隊の将兵3000人のうち100名程度とも言われる。

脚注

  1. ^ 宮内庁『昭和天皇実録第九』東京書籍、2016年9月29日、257頁。ISBN 978-4-487-74409-1 

参考文献

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室(編) 『中部太平洋方面陸軍作戦(2)ペリリュー・アンガウル・硫黄島』朝雲新聞社〈戦史叢書〉、1968年。
  • 同上 『南太平洋陸軍作戦(2)ガダルカナル・ブナ作戦』 同上、1969年。

関連文献

  • 納富寿生(編) 『歩兵第百七十聯隊 兵隊の綴る戦記』 経済ハイライト、1985年。

関連項目

外部リンク



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